234 99.12.08 「遠い日のあおぞら」

 長野県から届いた封筒から出てきたのは、新聞の一部分をコピイしたB4版の紙切れであった。新聞とはいっても、小学校の校内新聞といった類のものである。「あおぞら」というのが、どうやらその紙名であるようだ。ウサギ小屋の「あたらしいなかま」の名前が「ピーちゃん」に決まった、とか、「3ねん1くみのやまざきみちこさん」が市内の書道展で「きんしょう」を受賞した、などといったほのぼのとした報道がなされている。学級を崩壊させようにもその方法論を誰も知らなかった四半世紀以上前に発行された新聞なのであった。原本は、たぶん藁半紙にガリ版印刷されたものであると思われる。遠くない未来にワードプロセッサーなどといったものが出現するとは思いもしなかった誰かの手書きの文字が、右肩上がりで紙面を埋めている。
 教頭先生が「給食はなぜ食べ残してはいけないのか」といった啓蒙を企てているがいまひとつ説得力に欠けており、ベルマークの蒐集競争は四年二組がぶっちぎりで独走中の模様であるが、そんななかで「ドロボーをたいほ! 5ねん2くみのふたりのおてがら」といった見出しには、私ならずとも思わず目を奪われることであろう。
 その記事を熟読すると、私としてはいわいわと違和感を覚えずにはいられない。たとえば担当記者は、このように健筆をふるっている。「5ねん2くみのゆうかんなふたりがドロボーをつかまえました」。
 おいおい、つかまえてないって。小学五年生のガキに、そんなことできるわけがないだろうが、「あおぞら」紙の記者よ。まあ、そのような指摘を今このときにされても困ることであろうが。
 記憶というやつは、きっかけさえ与えられればかなり鮮やかに蘇るものであり、まざまざと蘇った記憶と対峙してしまった私としては、いささか困惑せざるをえない。
 記者は「ゆうかん」と表しており、それはその分脈から「勇敢」と解釈できるのであるが、実際の「5ねん2くみのふたり」は、「有閑」であり「憂患」でもあった。少なくとも「夕刊」ではなかったが、暇であり憂いに満ちていた。
 「ふたり」のうちのひとり、幸次という輩は、どちらかといえば憂患の徒であった。こやつは宿題のドリルを学校に忘れてきてしまったのであった。律儀に宿題をやろうとして、その痛恨の事実に気づいたのである。幸次は困惑した。夜である。とっくに日は暮れている。宿題をやるためには学校にとってかえし、当該ドリルを確保せねばならない。しかし、「夜の学校」というのは、いつだって「こわい」ものである。幸次には、とてもひとりきりでその場へ赴く勇気はなかった。
 幸次の脳裡に「近所に住んでいる幼馴染みの級友の援助を仰ぐ」といった発想が生じたのは無理からぬことであろう。幸い、そやつは「有閑」を座右の銘としているかのような、なにかしら早くもジンセイの正しき道から逸れてしまった輩であった。
 幸次はそやつの家に赴き、同行を要請した。
「ゑー。いまから、学校にぃ?」
 私としてはたいへん迷惑な申し出である。あからさまに、嫌だ、と、言ったつもりである。閑で有る。たしかに、閑であり、暇である。暇も閑も有る。しかし、私にとってヒマな時間というものはたいへん貴重なものなのである。次の瞬間に自分の意思で何をしてもかまわない、という自由の確保こそが、私にとってのヒマな時間である。なによりも尊ばれる。実際になにかをするわけではないが、そういった状況の確保こそが重要なのである。しかるに、他人の意向が介入したとたんに、それは崩壊する。ヒマではなくなってしまうのである。
 もちろん、往時の私がそのような明白な認識を有していたわけではない。自分の時間が、本来予定していなかった突発事態によって阻害されたことに、漠然とした迷惑を覚えたにすぎない。
 だいたい、そこまでして宿題をやろうとする性根がわからない。私のドリルは、もちろん学校に置きっぱなしである。そもそも、私にはウチに帰ってきてまで学業をする気がないのであった。宿題をやらなければ先生に怒られるだけで、べつに殺されるわけではない。怒られたら、「すみません」と言っていれば済むのである。宿題ごときに、自分の自由な時間を剥奪されてたまるものか。怒られたって、はなから反省するつもりはないのだから、特にしょげかえることもない。相手は宿題を出すのがシゴトで、やってこなかった奴を怒るのがシゴトである。最初から、噛み合わない。相手にちゃんとシゴトをやらせてあげればよいのである。怒られる時間などたかが知れている。学校を出た瞬間に訪れる自分の時間に比べたら、なんちゃない。と、このあたりは、表現はまったく違うが、当時から明白に意識していた。
 そういった背景があるので、幸次の動機がそもそも理解できない。
「いいじゃん、宿題なんかやんなくても」
 と、言ってしまうのであった。
「そんなわけにはいかないだろ」
 と、幸次は怒りだす。平行線である。
 その後、家人からの「友達甲斐のない奴」といった冷たい視線を背中に浴びせかけられ、仕方なく出掛けるはめに陥ったのであった。
 御存じの通り、学校には怪談が憑きものである。いや、付きものである。
「おまえ、先に行けよ」
「なに言ってんだよ。おまえのドリルを取りに来たんじゃねえかよ」
 などと、お約束の会話を交しつつ、及び腰で歩みを進める我々なのであった。
 なんとか所期の物件を取得し、校舎を脱出した後で、事態は急変した。我々はまったく知らなかったが、学校には先客がいた。ドロボーさんであった。校舎の角を曲がった拍子に出くわす、という、誠にわかりやすい邂逅なのであった。三人ともにわけのわからない悲鳴をあげて、ひっくりかえった。腰を抜かしたのである。悲鳴を聞きつけた近所の皆さんが駈けつけ、ドロボーさんの犯行は露見した。やがて、警察、担任、親などが次々とやって来て、大騒ぎの一夜となった。
 そうして翌朝、我々はヒーローとなっていた。地元紙並びに「あおぞら」紙の記者の取材を受けるなど、多忙な日々を送ることとなったのだが、もちろんそんな日々は長くは続かない。事態は次第に沈静化していった。
 が、その一方で、ひとつの問題が次第に顕在化しつつあった。事件を知ったひとがまず最初に抱く疑問は、「なにゆえにあやつらはそんな時刻に学校なんぞにいたのだ」という点であり、それは幸次が忘れたドリルを取りにいったという説明を受けてすぐさま解消されたのであったが、中には更なる疑問を投げかける者もあったのである。
 では、もうひとりの輩のドリルはどうであったか。彼は家に持ち帰っていたのか。
 担任は事件当夜よりこの点を危惧していたらしく、警察のロビーで私にささやくのであった。「いいか。おまえはドリルをちゃんと下校時から持ち帰っていたことにしとけよ。誰かに訊かれたら、そう答えるんだぞ」
 その夜、幸次は入手したばかりのドリルを手にしており、私は手ぶらであった。関係者はそれを目撃している。担任は、宿題をしない常習犯たる私の習癖を熟知しており、事情を把握するや否や、私のドリルがどこに存在するかを私に質した。私の「教室の机の中にあります」とのたいへん素直な回答を聞いた担任は、「やっぱりなあ」と嘆息し、口止め工作にかかったのであった。
「はい。わかりました」
 私はそう答えたが、その夜の私の関心は一点に集中していて、実はそれどころではなかったのである。パンツだ。パンツこそが、私の関心事なのであった。ドロボーさんに出くわして腰を抜かした瞬間、私は小便をちびっていたのである。わずかだが、ちびっていたのである。それがばれないか、ばれたらどうしよう、と、その夜、警察署における私は、ほとんどそのことしか頭になかったのである。担任の工作は、まったくの徒労に終わった。
 さあ、もうひとりの輩のドリルはどうであったか。彼は家に持ち帰っていたのか。
 級友にそうした問いを投げかけられるたびに、私は事実をありのままに語った。担任の教唆は念頭になかった。幸次は夜の学校という難所に立ち向かい、目的物を獲得した。が、同行した私はついでに同じことをすればいいのにしなかったのである。
「だって、持って帰ってきても、どうせ宿題なんかやらないんだもん」
 この発言が、じわじわと浸透し、問題となった。
 要するに、「宿題という、誰もが仕方なくも嫌々ながらもそれでもそれなりにこなしていることを、このヒーローはやっていない。やろうとする意思すらない。それは、とってもとってもいかんのではないか。だってヒーローだろう」というのであった。「学級会」といった時間において槍玉にあげられてしまう私なのであった。糾弾されてしまうのであった。
 私としては、ちびってるからヒーローなんかではありえないし、どうせやらない宿題を持ち帰るのはあまりに効率が悪い、といった見解を抱いている。そもそも、「ヒーロー」に祭り上げられてどれほどオレが困っているか、てめえら、わかんのかよ、といった心境である。が、そんなことは言えない。吊るし上げられながらも、例によって「すみません」と言っていれば済むだろうという処世術を駆使するのみであった。
 「時間」と「うやむや」は、切っても切れない紐帯に結ばれている。ソドムとゴモラ。おすぎとピーコ。愛と誠。時間とうやむや。容赦なく時は流れ、全てはうやむやになった。
 うやむやこそが、人類が仕方なく産み出した最大の叡知である。仕方なく、の範囲内に留まるところが弱いが。
 なにかしら、思い出してもしょうがないことを強制的に暴かれた気がしてならない。そのきっかけを与えてくれた「あおぞら」よ、一定の範囲内で感謝しよう。思い返せば、そんなに悪い記憶ではなかった。
 が、そうしたものを、はるばる長野県から送り付けてきた幸次よ、いったいなんのつもりか。いかなる料簡なのであろうか。引っ越しの荷物を整理してたら、などと能天気なことをほざいているが、駒ヶ根市から更埴市に転居することはとにかくわかった。だからといって、どうして私の記憶を喚起させるか。
 脅迫としか思えない。
 オレがちびったことを、幸次よ、おまえは気づいていたんだろう。
 んんと、そうだね、そうね、それはだね、それは、ゑゑとその、内緒にしてね。頼むよ、あの狂乱の一夜をともに過ごした親友じゃないか。

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