233 99.12.06 「納豆問答」
電車の中というものは、他人様の突飛な御意見に出くわす場所として、私においては極めて高い評価を得ている空間である。
本日は、その人相風体からして中学生と推察されるユウスケ君のあまりにも誤った見解が採取された。その友人であるらしきヒロキ君の再三の説得も、いっこうに効を奏する気配はなかった。
「だからさあユウスケ、納豆は畑でとれるんだってば」
ヒロキは次第に投げやりな発言をなしつつあった。無理もない。先ほどからヒロキは、納豆のなんたるかについて様々な表現でユウスケの蒙を啓こうとしてきたのだが、ユウスケのあまりの頑迷に直面し、もはやなすすべもない御様子なのであった。
どういった経緯で、彼等がアイドルの話でもゲイムの話でもなく、なにかしら彼等にはそぐわない納豆といった代物を話題に取り上げたのかはわからない。彼等にも彼等なりの事情があったのであろう。私が気づいたときには、彼等の議論は白熱していた。
「サカナの卵に決まってるじゃん、納豆は。ヒロキ、おまえ知らないの?」
というのが、ユウスケのたいへんに間違った主張なのであった。知らないよな、ヒロキ。初耳だよな。ユウスケはちょっとおかしいよな。
ユウスケの納豆に関する見解は、それはつまり「魚卵」だというのであった。ぎょらん、こそがユウスケの納豆原論序説なのであった。見上げてぎょらん夜の星を、というのであった。遥かな宇宙から時を超えてやって来た、というのであった。ばかだなあ、ユウスケは。
「ほら、イクラとかスジコとかさ、あれの仲間だよ。納豆は」
なおも、そのように力説するユウスケなのであった。
しょっぱなから脱力していたヒロキは、それでも友達甲斐のある偉い奴だったようで、この友がこの甚だ誤った見解を有しながら今後の人生を歩んだあげくに漂着するであろう悲劇を憂慮したのか、「それはちがうよユウスケ」と、友を正しき道に導かんと試みるのであった。
曰く、納豆の原料は大豆なんだよ、さかなの卵じゃないよ、畑でとれるダイズなんだよ、豆腐とおんなじで大豆からつくられてるんだよ、と。
しかし、ユウスケにはまったく通じないのであった。
「ヒロキ、おまえばかだな」などと、ユウスケは軽く一蹴するのであった。「豆腐は海草からできるんだよ。知らないのおまえ」
知らないよなヒロキ。トコロテンと勘違いしてるんじゃないの、ユウスケは。
「だいたい、おまえが言ってるダイズってなんだよ。そういう名前の野菜かなんかがあるのか」
と、ユウスケの誤解はそれが誤算だと気づかぬままに更なる誤認を煽りながら致命的な誤謬を招いていくのであった。
「じゃあ、訊くけどさ」ヒロキとしては挑発せざるをえなかったのであろう。「納豆はなんの卵なんだよ。なんていう魚の卵なんだよ」
いかにも。いかにもヒロキ、それは私もユウスケ自身の口からぜひ聞きたいところである。いいぞヒロキ。糾弾せよ、このあまりにも誤解にまみれたユウスケを。
「ダイズに決まってるじゃん。ダイズの卵が納豆だろ」
が、そのようにさらりと言ってのけたユウスケは、もしかしたら大人物なのかもしれぬ。
「な、なんだよユウスケ。それ、なんだよ」ヒロキの口調に激しい疑念が兆した。「まさかおまえ、ダイズという名前の魚がいる、とでも」
「いるに決まってるじゃん」
と、さらりと言ってのけたユウスケは、どうやら怪人物のようであった。
「ば」ヒロキはさすがに絶句した。「ばっかじゃないのおまえ」
ばかである。ユウスケはどうかしている。すべての食物は海から来たる、といった遠大な思想が窺える。ユウスケの信ずるところによれば、「ダイズ」という名の魚がいてその卵が納豆だ、というのであった。
もちろん、ダイズという名の魚はいるかもしれない。北海はシェトランド諸島ラーウィックで先々代からトロール漁を営むヨハンさん当年とって七十二もうそろそろ引退だよ、といった人物が、「こいつがダイズだ」と言って、タラの一種を指し示したとしよう。「ダイズ」と鼓膜に響いたとしたら、いったい誰がヨハンさんの主張を否定できるだろうか。「ヨハン」との名が明らかに北欧の出自を明示しており、彼が拠って立つ言語体系はスラブの香りを放っているわけで、アングロサクソンとスラブとの言語的軋轢の中で「ダイズ」と呼ばれるサカナが生じたとしても、無理のないところであろう。更には、タンザニアはムワンサ郊外に住み、ビクトリア湖で長年仕掛け漁をして生計を立てているイルサ・ハギボさんが、「ダイズは高く売れるね。めったに穫れんけどな」と述懐している可能性もまた、私達はけして否定できないであろう。ましてや、ラプラタ河の畔に住むカルロス・カンポスさんや、バイカル湖の幸を生活の糧とするユーリ・スヴァロフさんや、勃海において漁業を営む黄建陳さんの御見解もまた、我々は重視せねばならないであろう。彼等がとある魚を「ダイズ」と呼称していないと、いったい誰が否定できよう。魚の名称というものに対する彼等の言語感覚を、どうしてないがしろにできようか。あまつさえ、千葉県流山市長崎一丁目に在住する小川由香ちゃん四歳が、なにかしらの勘違いのあげくに、ムロアジの開きを「ダイズ」と呼んでいないなどと、確信を持って断言できる人物は存在しえないのではないか。
さよう、「ダイズ」と呼称される魚はいるかもしれないのである。
わかったよ、ユウスケ。譲歩しよう。ダイズと呼ばれる魚がいたとしよう。
いることにしよう。
だからといって、納豆は魚卵じゃないのである。
茨城県民のひとりとして主張しよう。納豆は、納豆はだな、大豆のなれの果てなのだぞ。あまつさえ、枝豆のともだちだ。ユウスケ、君は知らんのかもしれないが、それは歴史的醗酵的朝御飯的ねちゃねちゃ的ネギとカラシは欠かせない的な事実なのであるのだぞ。
そうした、かくかくじかじかの次第なのであった。
「だからさあユウスケ、納豆は畑でとれるんだってば」
と、ヒロキが投げやりになるのは無理もなかった。ユウスケの定説は、もはや施しようがない。やはりグルとユウスケにつける薬はないのであろう。信念といったものはほとんどすべての場合きわめて傍迷惑であるが、ユウスケの信ずるところもまた、例外ではないようであった。
なにかを無条件に信じている、というひとは、とにかく非常に傍迷惑なのである。
ヒロキは、半ば心配げに半ばほっとしたように、途中の駅で降りていった。納豆を魚卵と信じて疑わない友をひとり残すのは忍びないけれども、その保護者的立場からとりあず逃れられて安堵している、といった風情であった。
ユウスケが、ひとり取り残された。それまでの会話がなかったかのように、窓の外を眺めている。どこにでもいそうな中学生である。
が、ユウスケはここにしかいない。納豆は魚卵であり、その卵を産んだのはダイズという名の魚である、といった誤解を頑なに守るユウスケは、ここにしかいない。どうにも困った奴である。未来のある時点で、己の致命的な過ちに気づき、あるいは気づかされ、人知れず恥をかく予定のユウスケである。
ユウスケよ。周囲の乗客は、君にひとこと意見したがっておるぞ。君とヒロキの会話は、車内のみなさんの耳に届いていたのだ。そうした雰囲気に、君は気づかないか。気づかないだろう。君の長所と短所は、唯我独尊という四文字熟語に集約されている。ああ、わかる。君はそういう奴だ。けれどもみなさんは、君のちょっとした誤解をたしなめたがってうずうずしておるぞ。ちょっとしたことなんだ。君は、ちょっとだけ間違っているだけなんだ。ま、それもよいだろう。たいしたことじゃない。納豆は、魚卵。それは、カナダの首都がキャンベラであったり水素の元素記号がHgであったりするような誤解とさほど違うまい。誰だって、間違う。間違って憶えていることはある。私も先般、小春日和は春先のことだと思い込んでいて赤っ恥をかいた。小春が陰暦十月の異称だったとはな。そうだよ、納豆が大豆だったとはな。
君もいつか学ぶだろう。こっそりと恥をかいて、そうしてはじめて身につけることだろう。納豆は魚卵などではないことを。
が、蛮勇のおばちゃんが現れた。そっとしておく、ということができない大人げない大人は、やはりいるのであった。
「さっきから聞いてたんだけどね」もう、導入から度し難い。デリカシーのかけらもない。「納豆は魚卵じゃないのよ」いやはや、否定から始めるとは。「納豆はね、大豆からできるのよ」なにも、そう単刀直入に切り込まなくても。「魚卵じゃないの」あろうことか、そうダメを押した。
わからない。どうしてこうした無遠慮な精神が存在し得るのであろう。私は慄然とした。おばちゃんは、指摘して、それで、それだけで嬉しいのかもしれない。他人の心が傷つくということを、知らないのかもしれない。ともかく、よくわからない。無礼千万なおばちゃんであった。
ユウスケは硬直した。それはそうだろう。「あんたにはカンケーねえだろ」反発した。当然だろう。もっともである。年長者に対して敬語がないが、やむをえまい。おばちゃんのほうが非礼にすぎる。
ユウスケの誤解は、いつか未来のある時にひっそりと自らが気づくであろうはずの些細な誤認である。公衆の面前で指摘されるようなことではない。いわば、どうでもいいことである。
ユウスケは中学生である。「公衆の面前」は、それはつらい。とうてい、素直に聞き入れられるものではない。
ユウスケは言い放った。「うざってえんだよ」
うん。私もこのおばちゃんはうざったいと思う。でもなユウスケ、おばちゃんには、介入したがるタイプっつうのがあるんだな、これが。
自分が中学生であった時分をすっかり忘却したらしいおばちゃんは「んまあ、なによ、ひとがせっかく教えてあげてるのに、その態度は」と、逆上した。
うわあ。せっかく、だって。たかが納豆の話に、なに言ってんだかなあ。
その後、なにがしかの悶着があり、双方ともにふてくされてそっぽを向くという顛末に至った。ま、そんなものであろう。
ユウスケと私は、偶然おなじ駅で降り、私はここぞとばかりにユウスケのその後を観察にかかった。ユウスケは携帯電話だかPHSだかを取り出した。ううむ、そういうヨノナカになっているのであったか。
ユウスケが呼び出した相手は、最前の良心の男ヒロキのようであった。ひとしきり今しがたのおばちゃんのやりとりを報告して憤慨した後、またギロンは元に戻っていった。
「ヒロキよう、おまえも頑固だな」うひゃひゃひゃ、まだ言ってるよユウスケは。「だからさあ、納豆はダイズっていう魚の卵なんだってば」
頑固はおまえだ、ユウスケ。
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