230 99.07.01 「下巻から」

 やっぱり私は馬鹿だった。
 電車に揺られながら、購入したての文庫本を三十数ペイジまで読み進めた私は、文庫本の表紙を見返した。そうして私は卒然と自らの過ちに気づいた。下巻だったのである。上下巻に分かれた小説の下巻から、私は読み始めていたのであった。
 読みながらも、どうも様子が変だな、とは思っていたのである。当然なされるべき説明がほとんど省略されているような印象を、漠然と受けていたのである。違和感をいわいわと感じていたのである。初めて接する作家であり、こういう作風なのであろう、と無理やりに自分を納得させていたりもした。しかし、違和感はいわっいわっと耐え難いまでに押し寄せ、困惑した私はついに表紙を見返し、下巻から読み始めた己を見出すに至ったのであった。
 私は本を閉じ、当惑と闘った。私のココロは下を上への大騒ぎである。
 下巻である。物語は展開しているのである。中盤にさしかかって、盛り上がっているのである。そこのところに途中から土足で割り込んでいたのであった。
 下巻だったか。
 下巻から読んじゃったか。
 最低である。下の下である。夜は墓場で運動会である。が、ちっとも愉しくないのである。不治の病、粗忽症がまたしても発症したのであった。骨粗鬆症も大変だが、粗忽症もそれなりに大変なのである。
 たとえば、アララト山に、上巻と下巻が漂着したとしよう。たとえば、神田神保町の古本屋「けやき書房」の店頭に、上巻と下巻が並んでいたとしよう。たとえば、JR常磐線上野行快速電車に乗り込み、バッグの中に購入したばかりの文庫本の上巻と下巻が納まっていたとしよう。
 どちらから、読み始めるか。
 上巻である。上巻に紛れもない。上官の命令には逆らえない。情感を求めるべく、上巻から読み始めるのが人の道である。大の道である。木の道である。本の道である。
 上巻があり、下巻がある。上を読んでから、下を読む。それがこの世界のサダメである。上を見ればきりがないし、下を見たら高所恐怖症だった場合は怖い。この世界はそういうことになっている。そんな世界で、この下衆は下巻を手に取ったのであった。ついつい下手に出てしまう性格なのであった。
 上下、という概念が私に突きつけられている。右と左は概して対立するが旦那様、上下はこの瞬間、順序を表しているのである。後ろでもから前からでも構わないと言い放った方もいたが、下からいくのはこの場合、御法度なのである。下付きを好む方もあろうが、私は本を読んでいるのである。上巻を先に読まねばならぬ。が、私は下巻から読んでしまったのである。しかも、三十数ペイジに至るまで、己の過ちに気づかなかったのである。
 本の小さな出来事に、私は傷ついた。梅雨空を背景に、中吊り広告が揺れていた。絶え間なく揺れている電車の律動に身を任せながら、上巻から読んでいればよかった。終点までのこの長い時間が終わるまでに何か解決策を見つけて生きていかなければ。
 情けない。しかしこの程度の過失は誰もがやらかしてしまうものである。そのへんにころがっているものである。
 たとえば、私の右隣で読書に勤しむうら若き女性であるが、実はこのひとも下巻仲間に違いないのである。まったく根拠はないが、そうに決まっているのである。山形県天童市出身の彼女は今春大学を卒業しある家電メーカーに就職したのであったが、本日ささいなミスをしでかして上司に叱られ、たいへん動揺しているのであった。動揺のあまり、上中下と三分冊された文庫本の下巻から読み始めてしまい、未だにその事実に気づいていない彼女を、いったい誰が咎められるだろう。加奈君よ、ミスは今後も幾度となくしでかすものである。いちいち思い悩んでいては身がもたんぞ。元気を出せ。それから本は上巻から読んだほうがいいよ。いや、彼女の名前が加奈かどうかは知らぬが。
 更には、左隣で「新書太閤記(四)」に没頭しているおとうさんであるが、この山崎さんに至っては一二三をすっとばして、いきなりの第四巻である。眼前に本を広げて頁を繰ってはいるが、実は山崎さんの懐中には本日付けの辞令が忍ばされているのであった。勤続二十八年、いったい俺の人生はなんであったか、と山崎さんは憤っており、読書どころではないのであった。リストラである。出向である。減俸である。左遷である。月曜と木曜の陶芸教室以外のすべての時間をガーデニングに注いで安閑としている妻に、いったいどう告げればよいのか。そんな山崎さんに、シリーズ物は第一巻から読んだほうがいいですよ、などとたわけた忠告を、いったいどこのどいつができるというのだろう。いいじゃないですか、第四巻。第四巻から始まる人生もありますよ山崎さん。もちろん偶然でない限り、このおとうさんは山崎さんではない。
 そんなふうに赤の他人の人生を勝手にでっちあげ、オレの他にも粗忽なひとはもっといるのだ、と無理やりに自分を納得させた私は、のろのろと上巻を取り出した。一から出直しだ。上巻からやり直すのだ。
 私はあらためて上巻から読み始め、すぐに物語に引き込まれた。ニューヨーク48番街で居酒屋を営むダニーが、主人公然とした魅力的な光彩を放っている。そうか、こいつはこういう奴だったのか。が、ダニーは主人公ではないのである。なぜなら、下巻早々で、ダニーの心臓をベレッタの弾丸が貫くからである。
 私は、それを知っているのである。

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