231 99.09.14 「元を取りに行こう」
飲み放題である。四季の季語、飲み放題に他ならない。なんと麗しい響きであろう。思わず心ときめいてしまうことであろう。血圧は上がり動悸なども生じることもあるかもしれない。白目なども剥いてしまうのも、むべなるかなといったところである。極端な場合には、脂汗が流れ全身が震えだすかもしれない。しかしそのままだと生命が危機に瀕し、やんぬるかなといったところになってしまうので、ここはひとつ我にかえって今回の飲み放題に対峙してみよう。
カクテル飲み放題、二時間2500円也、というのが、このたび私の前に出現した魅惑の企画なのであった。
シティホテル内の飲食店は、宿泊客に少なからず依存するその性質上、不況の煽りをたいへん受けやすく、昨今では主にバイキングという方法論にすがって集客活動に精を出しているのは、あまねく知られたところである。過激なホテルでは、和洋中がそれぞれ競うように朝昼晩とバイキングをやっている。午後にはケーキのバイキングなども執行される。食い放題、飲み放題である。一方、バーはどうか。ホテルバーに放題という手法は馴染むのか。バーの主力商品は、時間、空間、雰囲気などである。酒や料理ではない。
今回、銀座のとあるホテルのバーにおいて、そうした野心的なサービスが供されていると聞き及び、私は驚愕した。破格である。自棄になっているのではないか、とも思える衝撃のプランである。
放題システムに対したとき、誰もがまず考えるのは「元が取れるか」という一点に尽きよう。ここで重要なのは、「元」をどう解釈するか、という問題である。モンゴル帝国の広大な領土を制圧するのは大変な難事業であろうが、モト冬樹を説得する程度のことならばなんとかなりそうである。敵はジンギス・カンなのか、モト冬樹なのか。このあたりの見極めが肝要である。今回の場合は、明らかにモト冬樹級である。ハードルは低い。しかも、グッチ裕三の全面的協力が得られるといった気配さえ漂う。鎧袖一触で攻略可能である。たかだかカクテルである。ほんの三杯か四杯でモトが取れる。せいぜい三十分間ほどで取れるモトなのであった。取れて元々なのであった。
店側としては元が取れるどころではない。もはや赤字をいかに些少に抑えるか、といった難局に立ち至っているのであろう。酒肴をどれだけ捌けるかといったあたりが勝負どころなのであろうが、2500円に目が眩んで迷い込んだ手合いには、あまり期待できない儚い願望ではあろう。
私も、もちろん目が眩んでいた。ようやく仄暗い空間に目が慣れたときには、カウンター席に座り、本企画に関するバーテンダーの説明に耳を傾けているのであった。限定版らしき三十種ほどのカクテルリストが目の前に広げられた。日替わりだというこのリストが飲み放題の対象となっている模様である。当然の措置ではあろう。飲み放題だからといって、カクテルブックを開かなければレシピがわからないような珍しい代物ばかりをオーダーされたら、バーテンダーも困ってしまうのである。
リストには、各ベースともにそれなりの顔触れが揃っており、私には興味のないリキュール・ベースがいささか多すぎることとブラディメアリが欠落していることを除けば、充分に納得できるラインナップであった。
私は瞬時に戦略を組み立てた。ジン・ベースとウォッカ・ベースを主体に陣を配し、ショートドリンク隊で攻める、といったところである。飲み放題とのせっかくの御好意にロングドリンクで応じるのは、それはあまりに間抜けであろう。
一番槍のギムレットを味わいながらリストを眺めていた私は、またしても悪しき慣習に出くわし、いささかの怒りを覚えるに至った。2500円は♂用の値段なのであった。♀は、2000円だというのである。どうなっているのだ。男女飲酒機会均等法の立場はどうなるっ。って、そんな法律はないが。なぜ、そうなるのであろう。前世がうわばみだったとしか思えない女は数知れないし、ウィスキーボンボンで宿酔いになる男もこれまた数知れないが。世の中に納得し難いことは少なくないが、私は未だにこの不合理を解消できない。2000Yenだというのである。このもうひとつのY2Kを、カクテルの神様、看過してよいものでしょうか。
と、怒っているうちにも、着実に飲酒活動は続いていくのであった。息抜きにテキーラ・サンライズといったロングドリンクに寄り道をしたりしながらも、基本的にはギムレットとウォッカ・ギムレットの間を往復する私なのではあった。
バーテンダーにはホームポジションがある。彼がカクテルをつくる場所である。たまたまなのか、本能のなせるわざなのか、私はその目の前の席に陣取っていた。オーダーもたやすくできる。彼の手が休んだその瞬間にすかさず次のカクテルを告げ、お互いに手持ち無沙汰とは徹底的に無縁に過ごした二時間となった。
バーテンダーの背後は総ガラス張りである。十五階から眺める銀座の夜景といったものが広がっている。さしたる感興を呼び起こすものではないが、不思議なことに杯を重ねるに従って、その光景がなんだか妙に心地よく感じられてくるのであった。
酔っているのである。
心地よい二時間であった。人生は素晴らしい。
なお、二時間で十九杯のカクテルを呑んだ場合、翌朝にはたいへん素晴らしくない人生が待ち受けていることを、末尾ながら付け加えておきたい。
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