003 95.10.29 「中華まんブルース」

 世も末である。世紀末なのだからそりゃそうなのだが、ある種のコンビニエンスストアではこともあろうにバナナカスタードまんなどという代物が販売されており、この点において世も末なのだ。まったくもってたわけた恥知らずが出現したものである。
 バナナカスタードまんそれ自体にはさしたる問題はない。良識をわきまえた人間がとるべき態度としては、ただ気づかないふりをして避けて通ればいい。驚くべきことにこの問題の物体は食品の一種であって、それだけでもこのくにの行く末に思わず涙してしまったりもするのだが、それでも「なかったことにする」という御先祖様のうるわしき知恵を拝借してきてやりすごすことはできる。忘れたふりをすることはできる。頬につたう涙は、向い風になぶらせて乾かせばいい。
 病根は、この破廉恥漢の出自に潜んでいる。笑止千万にもバナナカスタードまんと名乗るこの唾棄すべき痴れ者は、こともあろうに中華まんの仲間だと称しているのだ。由緒正しき中華まん一族の末席にその汚名を連ねているというのである。
 いったいどの面さげてそのような世迷い言を口走るに至ったかは永遠の謎であるが、この不逞の輩があくまで中華まん一族の血統を標榜するなら、苦笑して捨て置いておくわけにもいかない。こればかりは看過するわけにはいかないと、人類の叡知が悲愴感をみなぎらせて鳴らす警鐘が聞こえてくるのだ。ここはひとつ、ひとこと意見してやらねばなるまい。
 思い返せば、カレーまんの出現が今日の頽廃を暗示していたのであろう。あんまん肉まんという中華思想に貫かれた二大政党強調路線が長らく続いていたところへ、突如として南方から第三勢力が台頭してきたのだ。太平の眠りがインド方面からやってきた新参者によって醒まされてしまったのだ。どちらが好きかという庶民の他愛なくもささやかな論争は、根底から覆った。安閑とした二者択一の時代が終わったのだ。カレーまんは旺盛な勢いでまたたく間に全国のコンビニエンスストアを席巻し、肉まんあんまんの保革伯仲時代は終焉を迎えた。
 そしてそれは、中華まん戦国時代の幕開けであった。遥か西方からはピザまんやマカロニグラタンまんが乱入してきた。東方からはタコスまんが進出してきた模様だ。トムヤンクンまんやパエリアまんなどというのも出現しているかもしれない。北方からはキャビアまんの登場が待たれよう。こうなると、この列島からもなにかひとつ郷土に根ざした新製品が欲しい。道場六三郎の和風中華まんが期待されるところだ。一方、旧勢力も遅まきながら自己改革意識に目覚めたらしく、あんまん肉まんともに素材に凝るなどの内なる変革を断行し、乱立時代への対応に躍起になっている。
 そういうどさくさに紛れて、バナナカスタードまんという狼藉者は出現した。いったいどこをどう間違えば、このような不埒者が出現してくるのであろうか。明らかに鬼っ子である。
 そもそもネイミングが酷い。この長すぎる名称はなんとかならないものか。だいたいその内抱物が想像できないではないか。カスタードクリーム状のバナナが入っているのか、バナナ風味のカスタードクリームが入っているのか、いったいどっちなんだはっきりせいっ。はぁはぁ。
 ええとつまり、食ったこともないくせにキイをきわめて罵詈雑言を浴びせているわけだったのだ。
 好きじゃないんだよ、甘いものは、さ。

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