002 95.10.19 「蓋の上のPL法」
ここに一個のスナックめんがある。スナックめんというのは、カップの横に刷り込まれた諸元表にそう記された品名だ。どうやらJAS方面からやってきた言葉らしい。官の造語は、たいがい微苦笑を誘う。麺くらい漢字で表記すればいいのにね。一般的にはカップ麺と呼ばれる。時にはカップヌードルとも総称される。赤いきつねだろうがラ王だろうがすべてをカップヌードルと呼んでいささかも臆するところのない毅然とした人々はいまだに多い。あっぱれだ。スナックめんなどという情けない名称が持つうさんくささを粉々に打ち砕く素晴らしい態度といえよう。
こちらとしては特にそのあたりにこだわっているわけではないので、ここではカップ麺と表記してみる。いま目の前にあるカップ麺は日清食品株式会社が製造したところの「日清のどん兵衛 天そば」だ。ふと気づいてしまったのだが、蓋に見慣れないアイコン状のマークがふたつある。ひとつは、やかんからカップに熱湯を注いでいる図案で「やけどに注意」との但し書きがある。もうひとつは、レンジに×印が重ね合わされた絵柄で「電子レンジ調理不可」と注意書きがある。
ははあ、これがPL法対策というものだな。ニュース番組ではなんとなく見聞してはおったが、具体的に実物をつきつけられたのはこれが初めてだ。カップ麺で初めて知るというのはあまりに情けない気もするが、これもまた人生だ。
他のカップ麺にも同様の御注意が記されておるのであろうか。……そうだった。この場合の「……」は、近所のコンビニエンスストアに駈けこんで確認してきたという時間の経過が表現されている。ほとんどのカップ麺の蓋は、同様の御注意が目立たないようにしかも明らかに記されていた。幾多の会議を経て決定されたのであろうその蓋のデザインは、その気になった者が見れば一目瞭然にわかり、その気にならない者が見るとなんの違和感もなく周囲の絵柄に溶け込むように、問題の御注意が配されているのだった。PL法だってよ面倒なもんができちゃったよなあ参ったよなあでもしょうがねえよなあぶつぶつ、というような声が聞こえてきそうな、創意工夫の粋を集めた見事なデザインばかりだった。
御存じのようにPL法などという法律が必要な社会は病んでいる。アメリカ人ってばかなんじゃないのと笑っていたらいつのまにか自分達も同じヤマイに罹っていたのだ。あの有名な電子レンジと猫の逸話を笑い飛ばしてはいかんという法律ができちゃっていたのだ。それでも、んなこたカンケ~ねえよ、とうそぶいていたところにこのカップ麺だ。恐慌せざるをえない。困っちゃうよなあ。
どうやら、カップ麺を食うときには熱湯に注意せねばならぬらしく、電子レンジを使ってはいけないらしい。それは知っていたのだが、あらためて御注意を受けねばならないほど深刻な問題であったとは知らなかった。アタリマエという概念が通用しない社会がやってきたらしい。参ったなあ。
こうなったらもう、それはそれで適応していくしかない。うまく立ち回ればトクするかもしれない。思うに、この御注意には多くの欠陥がある。だいたい、やけどに注意という表現は具体的な対処法をなんら喚起していないし、電子レンジ調理不可とはそもそもどの部分のどういう助詞が省かれたのであろうか。重箱の隅をつつかれるのを防ぐ方策のはずが、かえって自分の首を絞めかねないぞ。「やけどには注意していたが、熱湯に触れるとやけどするとは知らなかった。そういう大事なことはきちんと書いておくべきだ」とか「電子レンジで沸かしたお湯でもちゃんと調理できたぞ。どうなっているのだ」などと法廷で反論されたらなんと弁明するのだろう。主述を明確にして誰にでもわかるような文章にしたほうがPL法の理念にかなうと思うんだけどなあ。
なによりまずいのは、最も重要なメッセージが欠落していることだ。「あなたの健康を損なう恐れがありますので食べすぎに注意しましょう」となぜ謳わないのだろう。カップ麺は常にこの点を攻撃されていたんじゃなかったのかなあ。煙草が似たようなことを謳っても、そう脅かされたからといって喫煙者が減るわけじゃないんだから、べつにかまわないと思うけど。
「手づかみで食べないようにしましょう」なんて書いてくれるとお茶目で嬉しくなってしまうんだけど、駄目かなあ。「あなたの食生活には野菜が欠けてはいませんか?」「もっと余裕のある生活をしましょう」などというのも欲しい。どこかのメーカー、やってくれないかなあ。大喜びで買っちゃうんだけどな。
「こんなもの食っていて、あなたの人生はそれでいいのか?」なんて書かれた日には、喜び勇んで買い占めちゃうぞ俺は。
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