001 95.10.16 「この秋いちばん」

 「この秋いちばん」とテレビのニュースが告げている。この時期に多用される定番フレーズで、主に気温の変化について語るときに使用される。天気予報の枠を越えてニュースになだれこむのが特徴だ。背景の映像には、山々の紅葉が映し出されたりする。
 姉妹品に「この夏いちばん」他二種があるが、秋版がやはり第一人者だろう。なにしろ使われる時期が長い。春はその季節自体が意外なほど短期間で終焉してしまうし、夏と冬にあってはその最高もしくは最低気温はその季節の初期に記録されてしまいがちだ。秋の場合だけが、じわじわだらだらと少しづつ気温が変化していく。秋という季節全般にわたって、着実に気温は低下していく。いきおい、「この秋いちばん」の活躍が目立つという仕組みだ。そのような背景をもって「この秋いちばん」は、今日の地位を築いたのだ。音感にも優れたたいへんよくできたフレーズで、季節の移ろいに情緒を重ね合わすのが好きなニッポンジンの嗜好を巧みに捉えているあたりはさすがだ。
 これほどの実力者を気温の低下を表現するためだけに使うのは非常にもったいないのではないか。「この秋いちばんの死者を出した交通事故」などと報道してくれると、どうしたどうしたそれはたいへんだたいへんだ、と、ニュースに向ける注目度ががぜん高まるのだが、残念ながらどこの放送局もやってくれない。「この秋いちばんの凶悪な殺人事件」となぜ言ってくれないか。ここぞとばかりに顔をしかめて小市民的道徳に基づく感想をひとりごちる用意はいつでもあるのだ。ニュース番組は自分を安全圏に置きたい小市民の娯楽なのだ。もっと堪能させてくれよう。
 やはり、報道原稿の規範に縛られすぎではないか。惜しまれるところだ。その結果かどうか知らないが、ニュースでしか耳にすることのない言葉ができてしまった。こういうバアイにはこう表現しとけばいいや、と決めつけているとしか思えないフレーズは意外に多く存在する。
 「悲喜こもごも」というやつが、その代表選手であろう。こんな言葉、一般民間人は使わないよ。これは受験シーズンにのみ特異的に多用されるフレーズで、「いつもながらの」という枕詞を伴うことが多い。「の風景」と続けられる傾向も強い。もはや季語といえるだろう。表現の工夫などというものはまったく省みられない。もっとも、他に重要なニュースがないから「いつもながらの悲喜こもごもの風景」を放映してお茶を濁しているのであって、工夫なんてしている暇はないのだろう。しかしここまで定番化したフレーズならば、やはり他のネタを報道する際にも使ってもらいたい。特に選挙結果の報道にはぜひ使ってほしい。これはいけると思う。ニュースキャスターというなぜか第三者の立場をとりたがる人々のセリフとしては、こたえられないハマリ具合だ。ほんとにやってくれたら、うひゃうひゃ喜んでしまうに違いないのだが。
 「無言の帰宅」も地味ながら根強い支持を受けている。棺を運ぶ映像を伴うのが特色だ。ニュース原稿には珍しい間接的な形容であるが、よほど使い勝手がいいらしく、蔓延している。この「無言」にこめられた意味がなかなか味わい深い。その死者が犯罪に関わっていたりすると、真実を封じ込めてしまったヨクナイ人というニュアンスで語られる。または、視聴者が勝手にそう感じる。不慮の災害に遭った市井の人の場合には、無念やるかたないといった調子で語られる。または、視聴者が勝手にそう感じる。というわけで、実はその解釈を視聴者に誘導的に委ねてしまっているところが、この定番フレーズの巧妙なところなのだ。これでは、ばしばし使ってしまうのも理解できる。ほとんど無思慮に多用している。このままではいつか唖のひとが亡くなったときにもうっかり使ってしまうのではないかと、びくびくしながら期待していることは、実は否定できない。
 さいきん登場の機会が減ってきたのが「近所でも評判の……」だ。ひところは思いがけず犯罪に巻き込まれた若い女性はすべて「近所でも評判の美人」だったのだが、近頃はいくら美しい女性であってもそうは報道してくれない。ま、以前の状況がむちゃくちゃだったわけで、よくもまあそんな乱暴な言い方をしていたものだが、それにしても惜しい。この常套句の裏にある漠然とした劣等感へのゴマカシは捨て難いと思う。いまだに細々と生存しているのが、善良きわまりないと思われていた中年男性の凶悪な犯罪が突如として明らかになった場合で、近所でも評判のおとなしい云々と報道される。これはただ驚いているだけで、美人の場合に比べて感情がこんがらがった複雑さがない。底が浅い。「近所でも評判の美人」の再登場が待たれるところだ。犯罪が勃発するまではどこにも存在しなかった美しい女性が、ただ犯罪が起こったというだけで唐突に出現するこのマカフシギな魔術には、やはりまだまだ魅せられてみたい。
 まだまだ他にも魅惑のフレーズがあるような気がするが、いまは思いだせない。しばらく時間をおいて採集活動に精を出し、またあらためて御注進の儀に及びたい。

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