トゥールーズ瞬間滞在記《4》


6月14日(日) その日、ミュニシパルで。


 久し振りに団体行動をなさねばならない。川村一家三十八士、チャーターバスに乗り込みミュニシパル・スタジアムに討ち入りなのだそうである。そのようなスケジュールが組まれているのである。我々にとっては、疎ましいったらありゃしない。我々はもはやトゥールーズ市の地下鉄並びに路線バスの大家であり、自力で勝手にスタジアムに到達できるのである。なにもわざわざチャーターバスに揺られて運ばれなくても結構なのである。
 といった不平不満を漏らすことなく、時間通りに集合場所のロビーに姿を見せる我々であった。美しき哉、団体行動。
 十時すぎにぞろぞろとホテルを出ていくと、ニッポンの取材クルーの皆さんの御登場だ。いきなりカメラを回している。こらこら、撮るんじゃないってば。ふと傍らに目をやると、たいへんきれいな女性が立っている。見覚えがある。あるが、こんなにきれいな知り合いはいない。直近でまじまじと目が合ってしまった。はて、誰だろう。?マークを頭上に浮かべながらバスに乗り込むと、一家はその女性の話題で持ち切りとなっていた。進藤晶子、なのだそうである。ふうむ、TBSのクルーであったか。言われてみれば、進藤晶子に他ならない。見覚えがあるはずである。しかし、あんなにきれいなひとだったか。
 TBSクルーの取材は中断しており、歩道に残された進藤晶子は、バスの中の面々に向かって「皆さん、チケットは手に入りましたか」などと世間話風に問いかけたりするのであった。バスが発車した際には、にこにこしながら手などを振るのであった。
 川村一家の面々は、シロート魂を剥き出しにして喜んで手を振り返している。窓から身を乗り出している者もあった。私が手を振ったかって? なにをいっているのだ、私は自分の恥は語らない主義である。

 正三角形は、いうまでもなく三辺の長さが等しい。ここでは、ホテル・テルミニュス、ミュニシパル・スタジアム、ゼニス駐車場の三点によって形成される正三角形を考えてみよう。地図を見れば明らかに、この三点は相互に等距離を保っていることが理解できよう。そして、例えばホテル・テルミニュスからミュニシパル・スタジアムへ向かう者はゼニス駐車場に向かったりはしないのである。倍の距離を費やす論理的必然性がないからである。
 しかるに、このバスはなぜゼニス駐車場を目指すのか。いかなる理由で、そうした不合理が罷り通るのか。川村氏の説明を聞きながら、地図を眺め、私はほとんど逆上していた。スタジアムの周囲は交通規制が敷かれている為まずゼニス駐車場に赴き、そこからシャトルバスに乗り換えてスタジアムを目指す、との立派な御説明である。なぜバスに乗り込ませたあとで、そういう説明をするか。事前にわかっていたなら、我々は地下鉄なり路線バスなりを使って勝手にスタジアムを目指すのである。なにしろ大家なので、居丈高である。なんなら、徒歩で行ってもいい。せいぜい三十分も歩けば着く。
 自力ではスタジアムに辿り着けない人々だけをチャーターバスに乗せればよいではないか。トゥールーズ市中心部の地理をほぼ把握してしまった我々にとっては、まったくもって時間の無駄なのである。ありていにいって二時間の損失である。どう考えても、十二時をすぎてからホテルを出ても充分な余裕を持って辿り着くはずである。
 酷いことに、ゼニス駐車場に着いてみればシャトルバスを待つ長蛇の列である。こんな列の後ろについて、いったいどうしようというのだ。ついに呆れ果てた私は、川村氏に申し立てた。
「我々はシャトルバスを待たずに勝手にスタジアムを目指そうとの存念を抱いているのだが、添乗員としての貴殿の立場上この行為の是非は如何」
 すると川村氏は、「それはもう、どうぞどうぞ、御自由に」と、面倒を見る荷物が二つ減って明らかにほっとした御様子である。
 おいおい。

 さっさと到着した我々は、観戦チケットとパスポートを提示し、嘆きの橋を渡った。係員は念入りに観戦チケットを調べる。やはり偽物が出回っているらしい。ゲートに辿り着いたのは十一時半頃であったが、まだ開門していない。誰かが「何時に開くのだ」とゲート内の係員に訊いている。係員のお答えは「イレブン」である。「おいおい、十一時すぎてるよ」と、重ねて詰め寄られても、係員はがはははと笑うだけである。鷹揚なものである。訊いた方も苦笑している。
 周囲には青い人々が溢れている。スタジアムを背景にしてお互いに記念写真を取り合い、愉しそうである。私は、記録に残したいときにはカメラを手にとらずに、文を書く。コイちゃんはデジタルカメラを所持しているが、ポーズを取らせてスナップ写真を撮るといった趣味はなく、もの珍しい看板を発見しては狂喜してその光景をデジタル化していた。私も知らないうちに何枚か撮られていたが、まったく気づかなかった。
 開門まではまだ時間がありそうである。私ははしゃいでる人々から離れて片隅に座り込み、さっそく作文を始めた。傍目にはちょっと不気味かもしれない。申し訳ない。これは癖なのだ。
 だんだん人が増えてくる。ニッポンのサポーターがあのおぞましき青いゴミ袋を配り始めた。やめろ。来るなよ、オレんとこに。絶対に受け取らないからな。こらこら、アルゼンチンのひとにまで配るんじゃない。やめんか、もう。おいおい、配った以上は使用法を説明せんかい、アルゼンチンのひとに。無邪気に喜んじゃってるじゃないか。よもやニッポンのサポーターの応援グッズだとは思っていない御様子だぞ。
 それにしても、そんな見苦しい手法はそろそろやめてはどうか。かねがね、そのゴミ袋は迷惑だったのだ。国立競技場その他で、ニガニガしく思っていたのだ。君等は応援をしに来てるんだから膨らませたゴミ袋を振り上げて御満悦なんだろうけど、うしろの席のオレはフィールドが見えなくて迷惑なのだぞ。オレは応援しに来たわけじゃない、ゲイムを観に来たのだ。

 入場し、席についた。思いの外、よい席である。メインスタンド側、PK地点の真横、サイドラインから約二十メートル、といったところか。大枚二万円を支払い、グレードを上げておいた甲斐があったというものである。ゴール裏のサポーターの方々から隔絶されたのが、なにをおいてもありがたい。この近辺には、ニッポン、アルゼンチン、フランス、各国民がほぼ等分に入り乱れており、穏やかに観戦できそうである。「じょ~、しょ~じっ」とか「なかやま、なかやま、ごお~る~」などと、周囲のサポーターの無言の圧力に屈して、白痴的な声援を叫ばなくてもいいようである。心底、ほっとする。城も中山も好きだが、だからといって、誰かに強制されて予め決められたフレーズを叫ぶのは御免蒙りたい。それは別の話である。できることとできないことがある。私はわがままなので、自分で声を出したいときに好きなことを口走りたいのである。団体行動にはつくづく向かないのである。
 そもそも私は、日本代表チームを応援しに来たわけではない。ただ、観に来ただけである。私の見解は「選手の知り合いでもないのに、応援、というのは、それはちと、おこがましくはないかい」といったところであるが、ほとんど支持を得てはいない考え方なのではあった。
 ゲイム前の練習が始まると、突如としてスタジアム内に聞き覚えのある音楽が響き渡った。「Can you celebrate?」である。これには、意表をつかれた。なぜ、いきなり安室か。あとで聞いたところによると、両国の流行歌を一曲ずつ流すといった趣向であったらしい。憶えておこう。クイズに出るかもしれない。ワールドカップの歴史上、初めてスタジアムに流れた日本の曲は「君が代」ではない。「Can you celebrate?」である。
 その後、ちゃんと「君が代」は流れ、やがて歴史的なホイッスルが鳴った。

 試合後、性懲りもせずオキシタン村へ赴く。Tシャツその他のお土産を購入しようという魂胆であったが、昨日とはうって変わった混雑に辟易する。フランス・テレコムのブースもかなり混み合っている。しばらく待ってようやくコンピュータにありつくが、回線が重いのか、目的の掲示板に繋がらない。我々は、ほうほうの体でオキシタン村を脱出した。
 しかし、コンピュータはありつくものではないな。
 街なかをうろつくが、ほとんどの店が閉まっている。日曜日である。安息日なのである。お土産はどこで買えばいいのだ。明日はただひたすらに移動だぞ。
 お土産はシャルル・ド・ゴール空港で調達することに決めて、夕食をとることにする。行き当たりばったりにイタリア料理の店に入ったが、相変わらずメニューは謎である。艱難辛苦を経てピザ、ガスパチョ、サラダなどがテーブルに並び、ロゼ・ワインを摂取していたところ、あとから隣のテーブルについた関西人二名と「そのワインはなんですか」的な発端から交歓が生じた。聞けば、三試合とも観戦するらしい。公務員だというのだが、豪勢なものである。かなり入れ込んでいるらしく、前回のアメリカ大会も長期休暇を取ったという。サッカーに取り憑かれたお蔭で出世の道を捨てたそうである。四年に一度、彼等は社会人として役に立たなくなってしまうのである。
 気持ちよくなり、どんどんワインが空いてしまう。
 井原問題について鋭く語り合ううちに、意識を失った。


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