トゥールーズ瞬間滞在記《2》


6月12日(金) 逆説的ホテル


 途中で何度か休息を取ったものの、基本的には単なる荷物と化して、高速道路を南へ運ばれていった。窮屈なシートだが、意外に眠れるものである。
 トゥールーズの街に入ったのは、午前五時半。まだ辺りは暗い。ばきばきと節々を鳴らしながらバスから解放された。
 こんな時刻にホテルにチェックインしたのは初めてである。長生きすると、面白い目に遭うものだ。数時間後にはチェックアウトしなければならないというのだから、実のところは「御休憩」といった趣である。「御商談」などをしてみようかとも思うが、コイちゃん相手では盛り上がらない。これでも一泊である。一泊の宿泊料金を支払うのである。しかも、予定通りの旅程なのである。こんな明け方に到着するのがわかっていて、一泊なのである。もちろん、川村一家の構成員は、少なくとも公式にはこの件について家長の川村氏に対して苦情を申し述べることはなかった。
 トゥールーズには四泊する予定だが、この一泊あるいは一休憩だけがこのルレ・メルキュール・マタビオなるホテルに一宿一飯の恩義を受ける。本日午後には歩いて一分の別なホテルにチェックインすることになる。そういうスケジュールになっているのである。
 マタビオとは駅名でもある。マタビオ駅は、トゥールーズ市の中心的な駅である。駅舎とホテルが同じ建物に同居している。由緒あるホテル、ということになるのだろう。ナチスに占領されレジスタントが駆け回っていた頃からそのままであったに違いないと思わせる造作であり、手動扉の木製エレベーターはまだまだ健在である。

 シャワーを浴び、がたこんごっとんとエレベーターに揺られて階下に降り朝食の席についた。閑散としている。川村一家は他に誰もいない。みんな疲れて寝入っているのだろうか。我々は、なんだか間抜けである。
 間抜けなので、謎のフランス人の若者アランにどばどばとジュースを注がれても何も言い返せないのであった。いや、例によってアランかどうかは知らないのだが、ジューススタンドの前でさあて何を飲もうかなと思案しながら私が手にした空のグラスに、アランは有無を言わせずジュースを注ぐのであった。たまたま同宿した客とおぼしきアランは、私がなにも頼んでいないのにオレンジジュースとアップルジュースを半々に注いだ。なにをするかアラン。アランは、にこにこしながら何か言っているが、こちとらフランス語はまるでわからない。たぶん「こうやって混ぜるとうまいんだぜ」と言っているのだろう。余計なお世話なのだが、アランはなにやら人懐こい笑みを満面にたたえているのである。「親切の押し売り」を恥じる概念を、この風土は育まなかったのであろう。仕方がないので、無理やりにこわばった笑顔をつくり「メルシー」と言った。おお、私は喋れたでないか、フランス語を。やればできるものである。しかし、フランス人と会話をすると、顔の筋肉が疲れることがわかった。それを会話と呼び得るのならば、だが。
 コンチネンタル・スタイルの朝食は、いつもながら味気ない。さしてうまくもないパンは仕方がないとして、なぜコーヒーやジュースやミルクに終始するのか。暖かいスープを出せ、ポタージュを出せ、シラク大統領に告ぐ、速やかに味噌汁の代替品を出しなさい。できないというのであれば、私にも考えがある。
 考えるだけなのだが。当然のことながらシラクさんは他のことで忙しく、私の意見は黙殺される。まあ、シラクさんに言っても仕方がない。諦念という名のバターを塗り、私はパンを噛み締めた。
 部屋に戻り、テレビを眺める。ユーロスポーツというチャンネルが立派な態度を示していることがわかった。スポーツ報道に終始するテレビ局であり、英語なのでありがたい。当然のことながら、この時期、ワールドカップが全面的に取り上げられている。昨日のゲイムの録画を眺めながら、私は成田の免税店で買い込んだバーボンをちびちびと舐め、あろうことか作文を始める。作文というのは、つまるところ本稿の下書きである。なにもおフランスに来てまでそうした不毛な作業に取り憑かれるのもいかがなものかと思うざんすが、不治の病なのでしょうがないんざんす。この性癖はこのあと各所で発揮され、そのたびにコイちゃんは所在なげにしていた。申し訳ない。まあ、こういう不埒な友を持った者の運命だと思って諦めてもらおう。

 十時半にチェックアウト。テルミニュスというこのあとの三泊を委ねるホテルに荷を預け、市内を散策する。なにしろ、夕方までは宿無しなのだ。おまえには暖かな温もりもやれはしない、のだ。
 キャピトル広場、オーギュスタン美術館、といった観光パンフレットにおいてその存在を誇示しているいわゆる名所を尋ね歩くが、さしたる感興を呼び起こされない。コイちゃんと私を唯一興奮させたのはダイクマ・トゥールーズ支店であった。いや、ダイクマじゃない。「MIDICA」という立派な名称がある。DIY方面に重きを置いたなんでも屋さんであり、そういう文脈においてはダイクマに他ならなかった。クルマで行けるところであったなら、かなりの散財をしていたに違いない。我々の興味をそそる雑貨がふんだんに商われていた。我々はその後もこの店を「ダイクマ」と呼び、それは好評を博した。コイちゃんと私の間で好評を博しても、なんの意味もないのであるが。
 トゥールーズは、私の知る限りでたとえれば盛岡といった趣の都市である。その規模や街の中心を流れるガロンヌ川がそう感じさせる。会話をかわした人々からは概ね親切な印象を受けた。といっても、買い物をする際にしか会話は存在しえない。つまり、あちらは商売人として我々に対しているのであり、親切というのはこちらのかいかぶりかもしれない。
 総じて、フランス語はなにがなんだかわからない。この件は明らかにこちらの失策なのだが、やはり簡単な日常会話くらいはできないとつまらない。街角のサンドイッチ屋さんのおばちゃんが大袈裟な身振りで何かを喋っていても、私は途方に暮れるばかりである。「あんたのサンドイッチは今あたためてるから、ちょっと待ってて」と告げているのか、「ケチャップにするかマヨネーズにするか」と訊いているのか、皆目見当がつかない。「ポテトはいかがですか」と営業活動に精を出しているのかもしれず、情けなく押し黙る他に途はないのである。
 もっともそのうちに、押し黙るという手法はきわめて有効であることが理解できてきた。「なに言ってんのかわかんないよ~、ぐすん」といった表情を露骨に浮かべていると、相手はそれなりの結論を導き出してくれることがわかってきたのである。「どうせこいつには何を言っても通じないのだ」と相手に思い込ませることに成功すれば、なんとかなるのである。そうなると、相手は自分の思い通りにコトを運ぶ。そして相手が導き出したその結論は、こちらがいくばくかの金銭を支払っている以上、たいしてこちらの不利益にはならないのである。これは発見であった。ツナサンドがハムサンドになったとしても、なにほどのことがあろう。「わからない」という態度を明確にすれば、とりあえずトゥールーズの商売人達はなんとかしてくれるのであった。
 断言できることはふたつしかない。そのあたりで売っているパンは非常にうまく、トゥールーズの商売人はみんないいひとだ。

 とはいえ、その単語や文法はまるで聞き取れないが、相手がなにを言っているのかを明確に理解できてしまう一瞬があるのだから、コミュニケイションというものは複雑だ。たとえば今朝ほどのアランの場合がそうだった。私は、アランがなにを言わんとしているか、即座に理解できた。シチュエイションが明白であれば、何を言っているのかがすかさずわかってしまうのである。
 たとえばニッポンが世界に誇る文化たるアニメの尖兵として、フランスのテレビ局はセーラームーンを放映している。フランス語の吹き替え版である。主人公の女の子が変身の挙げ句に無駄な気合いを入れて何事かを叫ぶと、私はわかってしまうのである。「月の代理人として貴公を処罰したい所存である」といった主旨の発言に違いないのである。フランス語がわからないはずなのに、わかってしまうのである。
 自分はなぜわかってしまうか。それはとても哀しい理解ではあった。そんなこと、わかりたくはなかった。わからないほうがよいことも世の中にはあるのだと、トゥールーズのお天道様が逆説的に諭してくださっているのかもしれない。
 ちなみに、陽が射せばやたらに暑く雲が遮れば肌寒いのが、我々が訪れた折の気候であった。一瞬毎に体感気温が十度ほど上下する感じである。空気が乾燥していると、そんなふうになるのだろうか。トゥールーズにいようがこの列島にいようが相変わらず馬鹿なのでよくわからない。

 三時半を過ぎたのでそろそろよかろうと、ホテル・テルミニュスに舞い戻った。チェックインしてみると、とんでもないことがわかった。前宿のルレ・メルキュール・マタビオに輪を掛けたみすぼらしいホテルである。ここでも手動扉の木製エレベーターが現役で活躍していたが、定員がふたりである。旅行者特有の馬鹿でかい荷物を持ち込んだなら、たいへん窮屈である。ツイスターゲイム状況でボタンを押す有り様だ。
 部屋に入ると、状況は更に悪化していた。冷蔵庫がないのである。これは私にとっては深刻な事態である。夜はワールドカップを眺めながらバーボンのロックを呑もうと考えていたのが根底から覆った。テレビも酷かった。製造後二十年は経過していようかというシーメンス製の受像機なのだが、まともに映るなら文句は言わない。が、まともに映らないのである。どうも同軸ケーブルのコネクターが「ばか」になっているらしい。コイちゃんの登場だ。こういう問題はこの男に任せておけば解決してくれる。コイちゃんはコネクターを解体し、同軸ケーブルを剥き出して直結してしまった。怒られるぞ、ホテルのひとに。と、我々は当然考えたが、ケーブル直結の沙汰は、その後二度のベッドメイクの際にも当局に発覚することはなく、滞在中我々は快適にテレビを観ることができた。信じられない。明らかに、我々はホテル側の備品を不当に改造してしまったのである。どうなっているのか。親切なニホンジンが直してくれたとでも考えているのか。直したんじゃない。その場をしのいだだけなのだが。

 その後、買い物をするために外出した。コンビニエンスストア状の店はほとんどない。ほんの五分も歩けばセブンイレブンなりローソンなりがあるという環境で過ごしている身には、耐え難い苦痛である。しかも、ロックアイスというものはどんな店であれ入手できないのである。しかも、ビールなど冷やして呑むべき酒を冷蔵室に入れて売るという発想がまるでない。
 ビールは自宅の冷蔵庫で冷やせ、氷は自宅の冷蔵庫の製氷室でつくれ、と宣言されてしまったのである。冷蔵庫のないホテルの蜘蛛の糸に絡めとられた私は、いったいどうすればよいのだ。
 生のままのバーボンを呑むしかないのである。生のままのバーボンを呑みながら、フランスvs南アフリカ戦を眺め、ふてくされてベッドに倒れ込むしかなかったのである。


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