トゥールーズ瞬間滞在記《1》


6月11日(木) 三十一時間の一日


 悪夢にうなされて目覚め、テレビをつけた。すると、とんでもない事態が我が身に降りかかっているかもしれないし振りかかっていないかもしれないことがわかった。つまりなにも詳らかにはなっていないのだが、私は混乱をきたした。
 たとえばNHKの朝七時のニュースは三宅というアナウンサーが担当しており、私はこのひとのどこか朴訥とした話し方に好感を抱いているのだが、この三宅さんまでがそんな無粋なことを言いだしては困るのである。
 ニッポンの旅行代理店の大半がアルゼンチン戦の観戦チケットを確保できておらず今後も入手の見通しがない、などと三宅さんは朝っぱらからつまらない戯れ言を弄ぶのである。ツアーそのものを取りやめた旅行代理店も少なくない、といった笑えない冗談なども口走り、三宅さんの悪ふざけはいささか目に余る状況を呈してきた。いくらなんでも度が過ぎるのではないか。温厚をもって鳴る私としても、さすがに看過できるものではない。公共の電波をなんと心得るか。受信料の重さをそこまで蔑ろにしてよいのか。
 私は、部屋の真ん中に立ちつくし、恐慌と戦っていた。深呼吸をひとつして、心を落ち着かせようと試みた。
 思うに、今日の三宅さんはただ冗談をかましたい気分なのだろう。三宅さんは、ほんとは単に悔しいだけなのだ。心の底では対アルゼンチン戦を見に行きたいのに、ニュース原稿を読み上げる単調な業務が、三宅さんを狭い列島に縛りつける。現地で観戦できる私のような人物が羨ましくて、ついつい意地悪をしたくなったとしても、誰が三宅さんを責められるだろう。わかるよ三宅さん。私は、まっすぐに立てた人さし指をチッチッと横に振った。でも三宅さん、公共の電波を使って私憤を晴らしちゃいけないな。
 などと、現実逃避をしている場合ではないのである。
 オレのチケットはどうなっておるのだ。JTBはツアーを挙行するのか。どうなんだ三宅っ。鷲掴みにしたテレビを揺さぶり、おろおろするばかりの私なのではあった。

 階下でコイちゃんと落ち合い、沈欝な朝食となった。和洋折衷のバイキングスタイルであり、順当に行けばこのあとしばらく米粒生活から遠去かるわけで、ここぞとばかりに御飯のありがたみを噛み締めねばならない。納豆も生卵も焼海苔も今ここで食わねば、口にする機会は帰国まで訪れない。しかれども、暗い話題が食卓に暗い蔭を落とすのであった。納豆を掻き混ぜながら、「とにもかくにも、集合場所に行ってみるほかあるまい」といった会話を重い口調でかわす我々ではあった。
 JTBがチケットを確保できていないのなら、オレは行かない。と、コイちゃんに宣言する。苦渋の選択である。チケット無しなら全額返却とJTBがアナウンスしている以上、ギャンブルはできない。明日からシゴトするよ、と決断せざるをえない。零細企業に属する身としてはそうなる。有給休暇はなかったことにできる。あらためて取得すればよい。一方、コイちゃんの立場としてはそうはいかない。有給休暇を取った以上、それを消費せねばならない。ここにおいて、立場の違いが表面化していささか困った局面を迎えたのだが、つまるところJTBが観戦チケットを入手していればなんの問題も生じないのである。とにもかくにも、集合場所に赴いてみるより他に手段はなかった。
 我々は暗い雰囲気のままに朝食を終え、重い足取りで空港に向かった。

 全日空の搭乗カウンターに、朗報は待っていた。
 JTBは、いきなり観戦チケットを手渡すという奇策を繰り出してきた。
 ほへへ。そうか、そうであったか。なんだ、チケット持ってるなら早く言ってよJTB。私はチケットを手にとり、しげしげと眺めた。ううむ、コレがいま世間を騒がせているアレか。コレがアレか。ううむ、そうかそうか。そうであったか。あったかあったか。ううむ。うむうむ。
 頬が緩むのを抑えきれない。
 すっかり余裕を得た私は、出発ロビーに徘徊する青い人々を眺めやった。
 日本代表チームのユニフォームのレプリカを着ている人々が、通称青い人々である。コイちゃんと私の間でしか通じない通称であるが。旗、鉢巻きなどのオプション付きも多い。「KAZU 11」を御着用の向きはなんらかの意思表明であろうか、背で泣いているとはまさにこのことである。
 青い人々は、二種類に分かれている。即ち、持つ者と持たざる者である。観戦チケットの有無が、両者の間に明確な線を引く。持たざる者はすぐに見分けがつく。彼もしくは彼女を包む不安のベールは、誰の目にも明らかだ。搭乗券はあれど、観戦券はない。見えない明日に向かって、これから飛び立とうとしているのだ。自分もまかり間違えばその立場にあったのかもしれないが、私はもちろん聖人君子ではないので、他人事の目で眺めるのみである。
 しかし、眺めるだけでは飽き足らない一派も存在するのであった。

 「音声さん」の立脚点は、かねてより気にかかるところであった。この場合の「音声」とは彼もしくは彼女が従事する業務の内容の部分的表現である。音声担当が本来の業務内容といえるだろう。テレビ局の取材スタッフにおいて集音マイクを操作するのが主たる業務である。ここから象徴的に抽出された「音声」という単語に、どうしたものか「さん」なる敬称が付着する。この接着によって、その対象に人格が備わっていることを表現する手法なのだが、この用法の歴史は浅く、まだ辞書には載っていないようである。「魚屋さん」の「さん」とは明らかに異なる。こちらは職業もしくは営業内容を愛称的に転化せしめたもので、批判はあれど親しみやすさを感じさせる。だが、「音声さん」は微妙な基盤の上に成り立っているように思われてならない。あえて距離を置かれて呼び習わされるのが、「音声さん」である。
 「音声さん」は単独では行動しない。カメラマン、レポーター、そして同族の「照明さん」などと共にひとつの集団を形成する。この四人で構成されるクルーが最も多かった。成田空港第二ターミナルの出発ロビーには。いやはや、いっぱいいた。
 彼等は、持たざる青い人々を発見してはインタビューを試みるのであった。もともと遠慮という概念からは遠いところで活躍する方々だが、どのクルーも、いくらなんでも事前に「話を聞かせてくれるだろうか」といった承認をとってからインタビューを始めていた。
 「めざましテレビ」の取材クルーを除いては。
 いやあすごいね、「めざましテレビ」。もう、いきなりマイク。いきなりカメラ。ぜんぜん、おかまいなし。素人だよ相手は。
 彼等の姿が目に入ると、「うわ~、めざましテレビが来た~」と言って逃げ回る我々なのであった。

 逃げ回っているうちに集合時間になり、今回のツアーに参加した面々が集結した。「98ワールドカップ フランス大会観戦ツアー〈A-3〉」の錦の御旗の下に集う精鋭三十八名である。率いるは、JTB丸の内本店の明日を背負って立つ気鋭の添乗員、川村だ。即ち、川村一家の誕生である。
 川村一家を乗せた全日空205便は、午前十一時半に成田を飛び立ったかと思うと、午後四時半にパリ郊外のシャルル・ド・ゴール空港に舞い降りた。体内時計ではそろそろ一日が終わるはずなのだが、フランスではまだ宵の口である。つまり七時間を借り入れたわけで、これは数日後に返済せねばならない。

 もはやへろへろになっているが、これからでろでろにならなければならない。まだ旅程の半ばなのである。入国手続きを終えて午後六時半。これから、パリの街並などにはいっさい目もくれず、トゥールーズめざしてひたすら南下、十時間のバスの旅だ。通常は国内線やTGVを利用するものと思われるが、JTB、バスの確保が精一杯だった模様である。不平不満を申し述べる者はいない。なにしろ川村一家は観戦チケットを入手できたただそれだけで、きわめて幸運な集団なのである。
 ここから同乗した現地の日本人ガイド千秋氏が「トゥールーズは騒然としている」と脅す。やはりチケット問題がたいへんな混乱を引き起こしているらしい。
 そんなことより、ただ眠い。午後十一時頃まで明るいというこの国の夕暮れを目にすることもなく眠りに落ちた。


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