079 96.11.14 「おむすびころりん」

 止めどなく湧き上がる怒りを禁じ得ない。滾るアドレナリン、迸る血潮、集めて速し最上川である。全身全霊で怒っちゃっているのである。ぷんぷん。
 発端は、おにぎりの落下であった。私が食べようとしていたおにぎりが、私の手を離れ、こともあろうにクズカゴの中に落ちたのである。なんであろうが、支えていないと堕ちていくのである。クズカゴに入った以上は、もはやおにぎりではない。クズである。実際に、クズにまみれてしまったのである。葛ではない。屑である。葛きりは食えるが、屑きりは食えないのである。一瞬のうちにおにぎりは、食えない奴となってしまったのである。クズにまみれたら、クズに交わってしまうのである。クズはクズより出でてクズより清し、とはならない。
 クズ100人に聞きました、となるとすかさず参加しているほど、私は人間のクズだが、クズを食する趣味はないのである。クズでノロマなカメにも、矜持はある。クズカゴの中に落ちたおにぎりを取り出しては食べられない。いつかできるようになるかもしれないが、まだ私は幼く、そこまでは達観できない。
 私の手には透明な包装が残された。私は某コンビニエンスストアで購入したおにぎりを食するべく、その包装を躍起になって解いていたのである。どう脱がせてよいかわからず、悪戦苦闘していたのである。三角の頂点から中心線を下方へ伸びている赤テープを一気に引き下ろし底部を横切り裏側を上方へ駆け上がり包装を二分割する。しかるのちに、両下端を左右に引き剥がすつもりでいたのである。ところが、そういう安穏な事態ではなかった。故なき思い込みは身を滅ぼすのである。
 見慣れた箇所に存在しない赤テープを探しあぐねて困惑していた私は、ふとした偶然から、底面を縦断する赤テープの存在を発見するに至った。ずるい。それはないのである。背中をまさぐりながら当惑していたら実はフロントホックだったりするとたいへん狼狽するが、そのような衝撃に見舞われたのである。私は、赤面するに至った。うろたえてしまったのがよくなかったのかもしれない。あわてて開封したところ、手元が狂った。
 蜘蛛の糸は切れ、おにぎりは落ちていった。
 受験生の方には申し訳ないが、落ちるときは落ちるのである。落ちるときは簡単に、それはもうあっけなく落ちる。落ちていくのも幸せだよと、などと歌う間もなく落ちていくのである。
 そのようにして、私の怒りは惹起されたのである。むろん、私は自分の不手際を責めたりはしない。当然である。自分はかわいい。責められるべきは、おにぎりの包装形態を統一しようとしない魯鈍な業界なのである。
 なぜ、開封方式を統一しないのか。上から開いたり底から開いたり斜めから開いたり内側から開いたり、わかりにくいったらないのである。
 私は、断固として主張したい。今回の悲劇は、消費者を無視したおにぎり業界の過当競争が生み出した不可避の人災である。フカヒレのチンゲンサイである。その無法を看過したコンビニ業界の責任もまた重いといえよう。
 私としては、損害賠償を求めて告訴も辞さない構えである。告訴、猫を噛むのである。110円を賠償していただきたい。慰謝料などいらぬ。食されるために製造された商品が、食されなかった。ただその損失を補償していただきたい。110円は私にとって切実きわまりない大金である。ただいま、最良の方策を模索して弁護団と鋭意協議中である。
 問題は、隣家の犬のジュリエット、泣き虫の小学生勘太郎、窓際で枯れそうなポトスなどで構成される弁護団そのものであるかもしれないが。

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