057 96.08.08 「うまいビールを呑みたければ」

 うまいビールを呑みたければ、太平楽に行くのがよいとされている。
 それが常識というものだ。社会通念というものだ。真理というものだ。
 もっとも、この常識は私にしか通用しないという重大な欠点を抱えているのだが。
 突如として、うまいビールを呑みたくなる。その狂おしい衝動は抑えきれるものではない。抑えきれるひとや、そもそもそんな衝動を覚えた経験のないひとのことは、ここでは考えない。そんなひとのことは知らん。ほおっておこう。
 は? 四六時中、飲みたい? そりゃあなたアル中です。カウンセリングを受けた方がいいですよ。酒のんでも、うまくないでしょ。うまくない酒を飲むひとのことは知らん。ほおっておこう。
 さあ、関係ないひとはいなくなったぞ。語ろう。
 衝動は、ある日ある時、いきなり訪れる。その使者は顔馴染みであり、誰だってそのときの対応は心得ている。
 なにをさておいても風呂に入る、というひともいるだろう。風呂上がりの一杯はなにものにも代え難い、と考える方々だ。その一途な思い込みを私は讃えたい。
 冨美恵ちゃんとデイトの約束をする、というひともいるだろう。それが紀予子ちゃんでも宣子ちゃんでも瑞枝ちゃんでも、あるいは直樹くんでも隆志くんでもいい。最愛のひとと一緒でなければ、なにを呑んだっておいしくないと考える方々だ。その純真なこころを私は羨ましく思う。
 とにかく、運動をしなければならぬ、汗をかかねばならぬ、というひともいるだろう。ありがとう。なにがありがとうなのかよくわかんないけど、私、そうなんです。
 走る。とにもかくにもこのよにも、走る。住みにくいけど、走る。汗が出る。喉が渇く。ビールがうまい。馬鹿の図式と言えよう。馬鹿だが、ビールがうまけりゃそれでいいのだ。都の西北、早稲田の隣。
 うまいビールを呑みたきゃ、代償がいる。絶対的にうまいビールなんて、ないんだから。うまいと感じるのは喉じゃなくて、こころの有りようだから。なにかしなくちゃ、あるいはなにかしたのでなきゃ、うまいビールは喉を通り過ぎていかない。誰かと一緒じゃなきゃ、あるいは風呂上がりでなきゃ、ビールはうまくない。
 私の勤務先から徒歩10分の距離に、太平楽はある。午後6時に開店するのだが、少なくとも開店の10分前に並ばなければならない。そうしないと、入れない。
 実際のところは、その狭い店内が満員になるほどの人数が店外に並ばないと、太平楽は店を開けない。やってることが、むちゃくちゃなのだ。たいがいは、午後6時10分頃に開店する。需要と供給。むかし習った、交差する謎の二本の曲線を思いだす。
 鶏肉を扱う店だ。焼き鳥、つくね、唐揚げ、鳥刺しなどが、その主なメニューだ。太平楽の場合、主な、というのは即ち、ほとんどすべて、ということになるが。
 つくね及び唐揚げは絶品だ。殊に唐揚げは、唐揚げという範疇を逸脱した、なにかべつの品といえる。塩及び唐辛子を混ぜたものを指でまぶしながら食べるのだが、このまま死んでもやぶさかではないと思う。
 そして、ビールだ。キリンビールの大瓶しかない。ラガーだとかなんだとか、太平楽においてはそのような分類は通用しない。ビールといえばキリンビールに他ならないのであり、麒麟麦酒株式会社が一番絞りだのラガーだのとぐだぐだと言っても、その声は太平楽には届かない。太平楽には、ただキリンビールがあるだけだ。
 太平楽を訪れた者は、キリンビールについてひとつの真理を学ぶ。
 実はそれがたいへんうまいビールであったことを喉で実感することになる。このビールのうまさを引き出す温度の幅が非常に狭いことを知る。その理想的な冷蔵方法を実現している店があることを体験する。
 キリンのラガーは、その温度を理想値に保ち、しかも瓶であれば、これほどうまいビールは他にないのだ。
 たぶん。
 明日、ひさしぶりに太平楽に行くことになったので、嬉しさのあまりつい書いてしまった。走れ、私。喉よ、渇け。
 太平楽は、千葉県柏市にある。

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