013 96.04.02 「哀しき四月馬鹿愛護協会」

 そんなある日、とは昨日つまり4月1日のことなのだが、同僚から思いがけない報告を受けて、私はたちまち青ざめた。本当か。それはまずい。うろたえて、いかなる善後策を講ずるべきか考えた。まずは先方に、ことの真偽を確かめればなるまい。事実だったらひたすら謝るのみだ。焦って電話をかけはじめたら、その同僚があわててフックを押した。
 本気にするなよ、と笑っている。私はあっけにとられた。嘘に決まってるじゃないか、と言う。
「へ? 嘘なの」
 だって、今日はエイプリルフールだろ。との、お答えだ。
 私は呆然とした。嘘をつかれたときより大きな衝撃を受けた。過去からの亡霊というやつに、いきなり出くわしてしまったのだ。
「エイプリルフールだってえ」
 私の喉から、すっとんきょうな声が出てしまった。
 はあ。まだそんな慣習が生きていたのか。御存命だったとは知らなかった。そうかそうか。よくぞ生きていたものだ。とうの昔に死んでいたものだと思っていたよ。私の目から涙がこぼれた。結局この列島の風土には根づかず、落魄と国外退去を余儀なくされたと聞いていたが、意外なところで細々と棲息していたのであった。
 しかし、こぢんまりして湿度の高い風土にはさすがに侵されているらしく、もはや亜種となってはいるようだ。BBCの火星人襲来報道に代表される本来の壮大な大ぼら精神は去勢されて、ただ身近な相手がだまされてうろたえる様子を見てほくそ笑むだけの卑小な嘘に堕している。
 いかん。これではいかんのではないか。勃然と私の胸に熱い思いがこみあげてきた。私は立ち上がった。即座に「四月馬鹿愛護協会」の結成を宣言し、自らを初代会長に任命した。絶滅の危機に瀕したエイプリルフールを愛護し、かつ本来のおおらかなほらの道に導くのが本会の目的だ。
「君は副会長になりなさい」
 私は同僚に命じた。しかし理解は得られなかった。なおも説得を続けたが、そのうちに彼は私を「冗談のわからないやつ」と認識していることがわかった。嘘を真に受けたのが意にそぐわなかったようだ。
 仕方がないので、孤高の活動を展開することにした。まずは若手がよいだろう。折り良く、配属されたばかりの新入社員というものが現れた。
「本日はエイプリルフールだが、なにかひとつ大ぼらを吹いてみたまえ」
「は?」
「遠慮するな」
「ええと、今朝、駅でトドを見ました。苦しそうにポカリスエットを飲んでいました。宿酔いだったようです」
「ふむふむ。で、君はどうした?」
「目を合わせないようにしました。私は前世でヒマラヤウサギだったので、トドはどうも苦手なんです。シラスボシの入ったチャーハンも苦手です」
「なるほど。なかなかスジがいいな。その調子でがんばれ」
 やはりまだ頭がやわらかい。ちょっとずれているが、これから鍛えて、副会長に育てよう。
 転属してきた同輩にも理解を求めてみた。
「なに? エイプリルフール? そんな暇はないんだよ。まだ引き継ぎが終わってないんだよ」
「まあまあ、もっと余裕をもってさ。春なんだから」
「わかったわかった。あ、おまえズボンのチャックあいてるよ」
「え?」あわてて確認する。
 あいてない。
「馬鹿だな。そんな古くさい手にひっかかる奴があるかよ。じゃあな。忙しいんだ」
 いや、だからね、そういう、ひとをだますのじゃなくてね、もっとね、嘘自体の根源的な楽しさを満喫しようという、ね。あ、おいおい、待てよ。行ってしまった。薄情な奴だな。それにしても私はだまされやすいな。
 エイプリルフールがすたれたのがわかる気がする。嘘をつく悦楽から遠去かって、人をだます快感に溺れてしまったのが敗因だ。だまされること自体には問題はない。それが楽しいことは少なくない。だまされた自分がだました当人に笑われている、この不合理な構造がやりきれない。嘘をついて人を楽しませることと人をだまして喜ぶこととの間には、もともとなんの共通点もなかったはずなのに。いつのまにか同一視されている。
 エイプリルフール自体は本質的には楽しい慣習だ。やっぱり新聞社や放送局が率先してやってくれないと定着しないのか。欧米の新聞は今年も張り切ってたみたいで、ダイアナ妃のホームページができて本人が姑を批判している、とかなんとかやってたらしいもんなあ。いいなあ、そういう記事を読めて。こういう外電を見聞するたびに、羨ましさがつのる。
 なおも、蕎麦屋さんの出前、転任の挨拶に来た取引先、保険の勧誘に来たおばちゃんなどを相手に孤独な啓蒙活動を行っていると、さすがに上司に怒られた。
「人をだましてはいかん」
「はあ。いかんですか」
「げんにおまえは今、だましている最中じゃないか」
「どういうことですか?」
「だって、今こうしてしゃべってるこの俺は、おまえが勝手にでっちあげたんだろう」
 ま、そりゃそうなんだけどね。

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