237 00.01.12 「二世代鍋の余波」

 その母娘の間には、余人には計り知れない断絶があるようであった。
 スーパーの野菜売り場で、母娘は声高に喋りまくり周囲の耳目をそれとなく惹き寄せるのであった。私も、母娘の言動に注目したひとりである。
「葱の買置き、ある?」
「なかったわね」
「じゃあ、買いましょ」
 母は五十代半ば、娘は二十代半ば、といったところか。実際の会話は機関銃のように繰り広げられており、ひとり娘が気弱な夫とともに里帰り中である事実、母が無口な亭主との二人暮しに飽き飽きしている現状、久方振りの再会を祝して今夜は鍋を囲もうとする計画などが、速やかに世間に知れ渡っていった。鍋を彩る春菊や白菜を購入する間に、母娘はそれだけの情報をスーパーの巷に開陳してしまうのであった。
 野菜売り場においては概して和やかな母娘であったが、魚介売り場に到達した瞬間、その亀裂は顕在化した。
 母は立ち止まり、娘は通り過ぎた。私の脳裡にザ・ビートルズの「Hello Goodbye」が流れ始めた。母は海老の物色にかかった。車海老を御所望の御様子である。さりげなく左前方の蛤に視線を走らせてもいる。と同時に、その先の鱈の切り身をも視野に入れた模様である。スーパーとともに生きて三十余年、母の風格が垣間見えた瞬間であった。
 新米主婦たる娘が舞い戻ってきて詰問の儀に至った。「なにやってんのよ。鶏の水炊きって、決めたじゃない。こういうのは、いらないの」
 娘は母が手に取った車海老を邪険に奪い取り、元の位置に戻した。
「決めたっておまえ」母、怒る。「おとうさんがお肉、食べられないの、あんた知ってるじゃない」
 娘、憤然。「ヒロユキさんは、おさかなが嫌いなの。言ったでしょ」
 メモメモ。おとうさんは肉ダメ、ヒロユキさん魚が嫌い。って、メモってる私は何者か。
 スーパーにおける「肉」はつくづく不思議である。魚肉を徹底的に排斥する。精がつくからとそれだけの理由で、「精肉」である。妖しすぎはしまいか。妖精よ、君の強引さには負ける。
 負けたのか母は。魚介売り場においてなんらの収穫がなかった母娘は、精肉売り場に辿り着いた。事前にそれぞれの主張はあったものの合意に至らないままこのスーパーに足を踏み入れたらしき母娘は、それぞれの配偶者の嗜好を楯に実際のところは己の嗜好を真っ向からぶつけ合うのであった。
「あぶらっこいのは、ねえ」と、母。
「なまぐさいのは、ねえ」と、娘。
「わかったわよ」母は一方的に独自の決議を申し渡した。「あんたは鶏の水炊きをつくりなさい。わたしはたらちりにするから。土鍋はふたつあるから、別々にやりましょ」きびすを返し、魚介売り場という名の楽園に舞い戻っていった。
「んもう。強情なんだから」ひとりごちた娘は、骨付きの鶏肉を籠に搬入しはじめた。出来合いの肉団子なども購入の運びに至ったようであった。
 母はたらちりと言い、娘は鶏の水炊きと言う。
 たらちりの母は海産物に安寧を求め、水炊き娘は地に足のついたものを選択する。
 二世代住宅、というものがある。住宅、それはおおごとである。鍋、それはたいしたことじゃない。二世代鍋、というものがあってもいい。
 別である。別れている。ふたつ、ある。たらちりと鶏の水炊き。
 他人事ながら、それでも私はおとうさんの良心に期待したい。「お。ヒロユキくん、その鶏はうまそうだねえ。すこし分けてくれんか」と、心にもないことを言ってはくれまいか。
 他人事ながら、それでも私はヒロユキさんの良心に期待したい。「あ。おとうさん、その鱈の切り身、ちょっとお裾分けしてくれませんか」と、無茶は承知で言ってはくれまいか。
 とでも思わざるを得ない。レジに辿り着いた母娘よ、なぜそうした細かいことで言い争うか。
「この葱はあんたの勘定ね」「じゃあ、白菜はおかあさん持ちね」「だったら、春菊はそっちで持ってよ」
 主婦よ、主婦たちよ。あなたがたの迫力には、勝てない。勝てないが、早々に勘定を済ましてはくれまいか。
 私はただ、待つのみである。モヤシ一袋、牛乳一パック、おにぎり一ヶを買い物籠に入れただけの些細な私は、ただ待つのみなのであった。
 母はまだなにか言っている。娘もなにか言っている。
 私の脳裡で鳴り響いている「Hello Goodbye」は、まだまだおさまりそうもなかった。

←前の雑文へ目次へ次の雑文へ→
バックナンバー 一覧へ混覧へ