220 99.04.13 「からだ地震」
昨今の花見の縄張りはレジャーシートで確保される習わしとなっており、その奥座敷に相当する位置でそやつは眠りこけていたのである。この男を仮に耶律楚材としておくが、こやつは呑み疲れたのか睡眠不足か定かではないが、車座から離れ、身体を「そ」の字に横たえて寝入っていたのである。
私を含めたその他の面々は、脱落者については即ち自分の呑み分が増えたとの認識を新たにする奴ばらであった。耶律楚材の存在は早々と念頭を去り、飲酒と馬鹿話にうつつを抜かすことに余念がないのであった。そういうことに余念がないというのもいかがなものか。たとえば、そんな健全で真っ当で反論の余地もない御意見もあるだろう。あるのだろう。あるんだよね、きっと。ぐすん。いや、なにも私が涙を浮かべることはないが。
ぐゎたん。唐突に、奥座敷から異音が響いた。
ぐゎしゃん。続いて、異音第二号。
振り返った一同は、あるひとつの光景を目にすることとなった。寝ぼけ眼で半身を起こした耶律楚材。耶律楚材の足許には彼が蹴倒したらしい空の一升瓶、粉々篇。
束の間、静寂があり、ややあって耶律楚材の間の抜けた声が流れた。
「いやあ、こりゃすまんすまん。今のは震度4くらいだったからさあ」
?
花曇りの下、一同は耶律楚材の発言を理解できず、きょとんとするのであった。震度4。なんだそれは。地震なんか、なかったぞ。自信はないが、地震はなかった。などと情けない駄洒落がついうっかり脳裡をよぎるほど、きょとんとしてしまうのであった。
きょとん一同の混迷を察したのか、耶律楚材は釈明を試みるのであった。
「いやいや、地震なんかなかったよ。地震があったのは俺の身体だ。俺の筋肉がね、からだ地震を起こしたの。んで、一升瓶を蹴っ飛ばしちゃった、と。そういうことなんだよ」
?
一同の混迷はますます深まっていくのであった。どういうことだ。からだ地震。なんだ、それは。耶律楚材、オレ達にはあんたの発言が理解できんぞ。
「あ。わからない? 俺の言ってること」耶律楚材は割れた一升瓶のかけらを拾い集めつつ、更なる弁明をなすのであった。「そりゃ、わからんか。からだ地震は俺語だからな。んとさ、こんなふうにちょいと寒いとこでうたた寝してるとさ、いきなり身体がびくんと震えて目が覚めちゃうことがあるじゃん。あれよ、あれ。俺はそれをね、からだ地震って呼んでるの。さっきは、それが起こったのよ。びくん、となって脚の先にあった一升瓶を蹴っ飛ばしちゃって、こうなっちゃわけよ。震度4だったなあ、あれは」
納得、という概念が、桜の花びらと共にひらひらと、きょとん一同の肩に舞い降りてきた。なるほど、そうであったか。あれか。あの、びくん、か。
しかし、そのびくんを、なにゆえに「からだ地震」と呼ぶのか、耶律楚材よ。当然兆した一同の疑念をすかさず感じとった耶律楚材は、まあ聞けとばかりに解説を加えるのであった。
「そもそもヒトの筋肉というものは、体温調整のためになにかとなにかをするものであって、たとえば寒いときに震えるという行動は、熱を産生しようとしているのである。筋肉を動かすと、熱が生じるのである。寒いときに筋肉が動くのは、きわめて合理的な体温調節機能のなせるわざである。しかし、その主体が寝入っている場合には、なかなかそうもいかない。寒いからといって自主的に筋肉を動かすといった展開にはならない。本人が眠っているからである。しかし本人の意思がどうであろうと、しょせんは単なる動物であるから、肉体的な反応が生じる。体温が低下したのならば、それを上昇させなければならない。筋肉が勝手に動くのである。体温を保たねばならないのである。びくん、である。それは単なる反応である。これ以上体温が低下しちゃちょいとまずいんじゃないか、というときに、筋肉はえいやっとばかりに一気にそれを取り戻そうとする。それが、あの馴染み深いびくんである。たまりにたまったひずみを一息に解放し、喪われた体温を一挙に回復しようとする筋肉の自主的な試みが、あのびくんである。地震に似ているだろう。即ち、からだ地震である」
「おお」
一同は感心をあらわにした。正しいかどうかはわからないが、御立派な御説明である。一同は「人体のふしぎ」といった分野にきわめて疎いので、耶律楚材の主張にすべからく納得してしまうのであった。
そうか。そうであったか。あのびくんは、そういうものであったか。
しかし、冷静な奴はどこにでもいるのであって、一同の中にもいた。
「からだ地震のいわれはよくわかった。しかし、その現象の本当の名前はなんていうんだろう。きっと、ふたつあると思う。一般名詞と医学的な専門用語だ。どちらでもいい。誰か知らないか」
誰も知らないのであった。耶律楚材に至っては、「知らないから、自分勝手に命名してるんだろうが」との御意見である。
もっともである。私もまったく同意見である。呼び名がないのなら、自分で命名するしかないではないか。
「変じゃないか」と、冷静男は疑義を呈するのであった。「誰もが実体験している現象に名称がないのは、変じゃないか」
変ではあろう。医学的専門用語に関しては、この場にいる誰もが門外漢なので、知らないのはこれは仕方がない。彼等は名付けているのだろうが、我々がそれを知らないだけである。
一般名詞はどうか。なぜ、その名がないのか。あるのに、我々が知らないだけなのか。頻繁とはけしていえないが、さほど珍しい現象ではない。しかも、体験している者はきわめて多い。それなのになぜ、名がないか。やはりあるのか。あるのに、我々が知らないだけなのか。
ひとしきり論争が沸き起こったが、結論が出る類の話ではない。
「とりあえず、からだ地震ということにしておこう。今後、我々の間ではあのびくんはからだ地震と呼ぼうじゃないか」
べつに結論を出す必要があるとも思われないが、そういう結論になった。耶律楚材は御満悦である。
御満悦になれない奴が少なくともひとりいた。私である。オレ、急びっくん、って呼んでるんだけどな。急にびっくん、きゅうびっくん。きゅうびっ君。なんだか恥ずかしくて言い出せなかったんだけどさ。そう呼んでるんだよ。
きゅうびっくん。う~ん、やっぱり胸の中にそっとしまっておこう、っと。
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