209 98.12.01 「責任をとってもらおう」

 なかなか気さくなおにいさんなのであった。奇策ではない。策を弄するような人物には、とても見えない。コンビニエンスストアの店員としては、過剰に己を前面に押し出すきらいがあるようにも思えるが、それがたとえば子供好きという一面であるのならば、それはそれで微笑ましいことではないか。
 幼稚園児とおぼしき女の子が、カウンターに身をよじあげるように右手を差し伸べて、百円玉を彼に手渡す。彼女の左手にはアイスクリームが握られている。するとおにいさんは、アイスクリームなんかよりもっと甘い声で言い募るのであった。
「は~い。84円で~す。100円、いただきました~。おつりは16円ですね~」
 腰をかがめてできるかぎり目線を女の子と合わせるようにしながら、おにいさんは邪気ってそれなあにといったような無類のにこにこ顔で、彼女から百円玉を受け取るのであった。
「16円ください~。おつり~。16円で~す」
 女の子もつられて、ぴょんぴょん飛び跳ねながら無邪気な声をあげる。
 彼女の背後で順番を待つ私も思わず顔がほころんでしまうやりとりである。ああ、こんなとこにも幸せはあったのだ。ほのぼのした思いがひたひたと身を包み、なんだか妙に嬉しくなってしまう単純きわまりない私なのであった。
「は~い。おつりで~す。16円で~す」
 おにいさんは女の子にお釣りを渡そうとした。が、女の子はまだぴょんぴょん状態なので、うまく受け取れない。
「あ~。おつりがほしくないのかな~。16円だよ~。大金だよ~。おうちが買えちゃうよ~」
 買えない。
「おうちが、買えるの?」
 女の子は、ぴたっと静止して、訊いた。私は内心で爆笑していた。
「買えるよ~」
 おにいさんは、理不尽な回答をなすのであった。うひゃひゃひゃ、買えないってば。
「ほうら。16円だよ。おつりだよ~。あれえ、おつりがいらないのかな~」
 おにいさんは、事態をごまかしにかかった。
「いる~。おつり、いる~」
 またまた、ぴょんぴょん。古来よりコドモは目先のことしか考えないものであり、この女の子も例外ではなかった。
「はあい。おつりだよ~」
 おにいさんは、16円也を女の子の手に握らせた。差し出された女の子の右手に、自らの左手を添え、そのちんまりした掌に16円也を置き、更に自らの右手で女の子の右手をくるんで、しかと握らせたのであった。
 なんだかもう、濃密な交流なのであった。
「落としちゃだめだよ。おうちが買えるお金なんだから」
 まだ言うか、おにいさんよ。
「落とさないんだもん!」
 女の子はきっぱりと宣言し、コンビニエンスストアをあとにするのであった。
 で、ようやく私の番である。さあ、このくだらない雑誌一冊とさしてうまくもない缶コーヒー一本を、この千円札一枚でなんとかしてくれ、おにいさんよ。
「698円になります。はい、302円のお返しです」
 ……。
「……」
 ……。
「……」
 ……。
「……」
 ……。
「……」
 なあ、おにいさんよ、そうやって、私の手を握り締めるのはやめてもらえまいか。
「こ、これは失礼いたしましたっ」
 いかにも。いかにも失礼きわまりない。おにいさんは、おつりを私の手に握らせたのであった。私が差し出した右手に自らの左手を添え、その無骨な掌に302円也を置き、更に自らの右手で私の右手をくるんで、しかと握らせたのであった。
 つまるところ、最前の女の子になした所業を、おにいさんは私にもなしたのであった。オレはそんなに子供か。おにいさんの目にはそう映るのか。
 なんだ。
 なんなのだ。
 なあ、おにいさん、オレはあなたの手のぬくもりを、いったいどうすればよいかわからないのだが。
 愛が芽生えたら、いったいどうするつもりなのだ。
「申し訳ありませんっ」
 謝罪されても、もはやどうしようもない。
 責任をとってもらおうじゃないか。
「つい、うっかり」
 と、おにいさんは泣きべそ顔になるのであった。
 なかなか奇特なおにいさんなのであった。危篤ではない。おにいさんは、今日も元気に生きている。コンビニエンスストアの店員としては、あまりに不用意な性癖を前面に押し出すきらいがあるようにも思えるが、それがたとえば男好きという一面であるのならば、それはそれで微笑ましい、わけはない。
 ないったら、ないのだ。

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