146 97.11.18 「つるみはどこから来たのか」
「つるみ」とは、いったいぜんたいどこから湧いて出てきたのか。
私の場合はインスタントラーメンの商品説明をしているラジオで、初めてその名詞を耳にしたのだが、世間ではごく普通に使用されているのか。市民権を得ているのか。私の世間は狭いのか。狭かったのか、やはり。
たとえば、グルメ番組では前田吟が評判のラーメン屋を訪れて「いやあ、麺にコシがありますね。それから、このつるみがたまりません」などと感嘆しているのだろうか。なぜ前田吟なのかは自分でもさっぱりわからないが、私はスポーツと報道しかまともにテレビを観ないもんでどうか見逃してほしい。
どうやら、麺がつるつるしている様を表現するときに、この「つるみ」は用いられるらしい。新しい言葉は需要があるから出現するもので、たしかに「このつるっとした感じがいい」より「つるみがある」の方が、字数が少ない分、応用範囲が広い。しかも名詞であるから、修飾語を乗せやすい。便利だろうと思う。「喉ごしのいいつるみがたまらない」とか「あっさりしたスープに見事に調和したつるみに思わず我を忘れた」とか「このえもいわれぬつるみがもたらす無上の悦楽に私たちは果てしなく溺れていくのであった」とかって、まさかそんなことを口走るひとはいないだろうが、とにかく使い勝手がよさそうだ。
活字界ではどうなのだろう。こちらは保守的で、使うひとはあまりいないように思えるが、そのへんはどうなのか。なにより、怒るひとがいそうだ。まず槍玉にあげられそうなのが、文法的には欠陥に見えがちな点だろう。
苦みとか赤みといった連中と見かけが似ているところに陥穽がある。この一派は形容詞から名詞に転化した苦難の歴史を背負っているわけだが、「つるい」という形容詞は存在しない。方言としてはあるかもしれないが、ややこしくなるのでここでは知らんぷり。「つるみ」はただ、「つるつる」または「つるっ」といった擬態語から取り出された「つる」と、「み」が合体したに過ぎない。「つる」は断じて形容詞の語幹ではないのだ。問題は「み」で、この出自がどうも怪しい。苦みとか赤みを名詞たらしめているあの語幹にへばりつく「み」が流用されているとしか思えない。なんとも、みのほど知らずな「み」なのだ。本来の用法を故意に無視してカタチだけを真似ている気配がある。そうした暗い出生に引け目を感じてみの置きどころがないという態度を見せるかと思うとそうではなく、「つるみ」は「本来の用法とはなんだ、誰が本来と決めたのだ、わしは知らんもんね」などとあっけらかんとしているのだ。一筋縄ではいかない確信犯である。
しかし、そういった文法的観点をあざわらう成立過程があるのではないか、とも思える。
この言葉を初めて世に送り出したのが某即席麺メーカーの研究所であるかもしれない。横浜は鶴見にあるこの研究所で開発された麺が画期的につるつるだったことから発祥した言葉ではないとは誰にも否定できまい。できるか、でへへ。いやそうではなく、主任開発員の苗字が鶴見であっただけかもしれない。鶴美さんという女性であっただけかもしれない。あまつさえ、鶴見鶴美さんだったらどうするつもりだ? って、いったい私は誰に迫っているのか。
はたまた、外来語である可能性も否定できない。まあ、外来語というのももはや古めかしい言葉で、外から来るわけではなく強引に外から連行してくる場合が多い昨今ではなんというのか知らないので、とりあえず外来語としておくが、たとえばアマゾンの奥地に棲むマヤカナ族が主食であるラハイヘビを生で飲み込むときの感じを彼等は「ツルミ」と表現するのかもしれない、って、どこまででっちあげるか私は。
とはいっても、ひとりの広告屋さんが立食いそばを啜っている瞬間に閃いちゃっただけだったりするんだろうなあ。
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