135 97.09.15 「記憶の中へ駈け込めるのなら」

 その曖昧な記憶にまつわる事柄の中でただひとつ確かなのは、年齢だ。
 私は八歳だった。
 夏だった。逆算すると、それは、1969年の夏だった。
 思い出すことができる遠い昔の記憶の大半は、夏の中にある。どういうわけか、背景には常に夏がある。ずっと夏だったのだろう。子供の私は、夏しか過ごしていなかったのかもしれない。
 私は、縁日の人混みの中にいた。金魚すくいへの挑戦という身の程をわきまえない暴挙を試みようとしていた。
 記憶の中へ駈け込めるのなら、そっと肩を叩いて「悪いことは言わないから、やめたほうがいいよ」と、諭してあげたいものである。
 実際には、誰も諭してはくれず、八歳の私は金魚屋さんのおじさんの術中にはまっていくのであった。
「トシの数だけ掬ったら、タダにしてやるよ」おじさんはそう言って、ほくそ笑んだ。「ぼうやは何歳だい?」
「8才だよ」
 私は意気込んで答えた。和紙が張られた針金を手にして、金魚達をじっと見据えた。
 手先が不器用な私に、金魚すくいは無謀であった。私は、運を天に任せて輪投げでもしていればよかったのだ。私の運はたいがい悪いが、運にはまだ望みがある。私の金魚すくいの技量は、これはもう救いようがない。い、いや、これは駄洒落ではない。たまたま韻を踏んだだけです。だけなんですっ。ま、信じてくれなくてもかまわないが。
 八歳の私は、まだ自らの不器用さ加減を悟っていない。いやまあ、実にどうも、ごく最近まで悟っていなかったのだが。
 たちまち五枚の網が破れた。一匹の金魚も獲得していない。私は意地になって、更なる網を買い求めた。
 ここに至っておじさんは、自分がこの稼業に携わって以来もっとも稚拙な客を相手にしているのではないかとの疑惑を抱いたと、のちにしみじみと述懐している、かもしれない。金魚すくいだけはやってはならない運命を背負ってこの世に生を享けた少年が、こともあろうに金魚すくいに手を染めている。その手付きは米を研いでいるとしか思えない。
「なあ、もうやめた方がいいよ」おじさんは職業意識を忘れ、ひとりの人間として発言した。「ぼうやは、金魚すくいに向いてないよ。他にもっと愉しい遊びがあるだろ。型抜きとか射的とか」
 おじさんは一瞬、沈黙した。「い、いや、綿アメ食うとか、くじを引くとか」
「網、ちょうだい」
 私はきっぱりと申し述べて、代金を差し出した。頭に血が昇っている。8ぴきの金魚をすくうんだ。
 記憶の中へ駈け込めるのなら、絶壁頭をナデナデしながら「まぁまぁ、おじさんも親切にああ言ってくれてることだしさ」と、諭してあげたい気持でいっぱいである。
 おじさんは仕方なさそうに網を取り出した。かと思うと、自ら模範演技を見せ始めた。ちょうど客足が途切れて、私しかいなかったせいもあるのだろう。商売を度外視した態度となった。
「こうして、水面の近くにいるのを、うしろから、こう、さっと。な、わかるか。すくいあげるんじゃないんだ。お椀の中に押し流すように、こう、さっと、な。ほら、やってみろ」
「うんっ」
 私は、おじさんのやった通りにやった。はずだったが、瞬く間に和紙は破け、出目金が輪になった針金をくぐり抜けていった。
「いや、だから、そうじゃなくてさ。網は水平に動かさなきゃだめだよ。こうだよ、こう」
「うん、わかった」
 しかし下手な奴はいつまでたっても下手なのである。人には向き不向きがある。八歳の私は、今よりずっと諦めが悪かった。こういう体験が積み重なって、なんでもすぐに諦めちゃう今日の私が存在するのだ。
 記憶の中へ駈け込めるのなら、小さな身体を抱き締めて「いいよ。もう、いいんだ。おまえはよく頑張ったよ」と、ねぎらってあげたい心境である。
 おじさんもとうとう匙を投げた。あそこまで金魚すくいに向かない人間がいるとは思わなかった、と、懐かしげに当時を振り返るおじさんがこの空の下にいる、かもしれない。
「なあ、ぼうや。もう、やめなよ。悪いが、他にお客さんも来たし。おかねはいらないよ。金魚もあげるよ。8匹だったな」
 自分の足許に破れた網が散乱しているのだから、私もさすがに自分に懐疑を覚え始めている。そこへいきなりの8匹金魚のボーナスだ。
「ほんと?」
「ほんとだよ」
「わあいっ」
 このころから、金品には弱かった。
 ビニール袋をぶら下げて帰宅した私は、顛末を親に報告した。とたんにこっぴどく叱られた。タダで愉しんだ上に金魚までもらったのがいかん、とのお言葉であった。私の背後に、「しょぼん」という文字が浮かんだ。
 記憶の中へ駈け込めるのなら、「まぁまぁ、おとうさんおかあさん、彼も悪気があったわけじゃないですから」と、かばってあげたい気分である。
 私は、縁日に連行された。親が代金を支払うというのだ。なかなか立派な親御さんである。
 縁日は既に終わり、金魚屋さんの姿はどこにもなかった。
 親は「ま、しょうがないか」と、すぐに諦めた。いまひとつ立派にはなりきれない親御さんのようであった。
 結局、あの日の金魚すくいの代金を、未だに支払っていない。もらった金魚は冬を越せなかった。あのおじさんに借りがある。
 今年の夏が、いつのまにか終わった。
 1969年の夏だけが、まだ終わらない。

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