134 97.09.14 「凝っているのか」

 EW433である。
 得体が知れない。こんなものに己の大切な肩を託していいのか、といった疑問は私の胸にも去来した。反射的に私の心を横切った。しかしオートパルスという商品名を聞けば、いささか心も和むことであろう。ささくれだった心も沈静化することであろう。低周波治療器という素性が明らかとなれば、安堵の溜息も洩れるのではないか。己の不安が杞憂だったと得心するのではないか。
 いかにもこれは、松下電工株式会社が製造したところの低周波治療器オートパルスEW433である。他の何物でもない。
 肩凝りの治療に用いられる。(7B輸)第33号という医療用具承認番号を得たと、取扱説明書が誇っているので間違いはないだろう。微弱な電気を人体に通して凝った筋肉をときほぐす。効くと思い込んだ人には効くし、効かないと見なした人には効かない。使ったという事実が精神に好影響をもたらすのだ。従って、私には効く。よく効く。
 なにしろ、そもそも私には肩凝りの自覚症状がない。肩揉み好きに言わせるとこんなに凝った肩はないというのだが、私はぜんぜん辛くない。肩凝りしていない状態を知らないのだから、辛いもなにもあったものではない。こういうものだと思っている。いや、こういうものといった自覚すらない。
 あんたの肩は凝っていると誰かが言うので、鵜呑みにしているにすぎない。
 肩揉み好きは、どこにでもいる。思わぬところから出現する。必ず、親しい人々の中から出現する。永年つきあっていたが、おまえが肩揉み好きだったとは知らなかったよっ、と私は驚く。
 こいつ会ったときからオレの肩を狙っていたのかな、などと考えながら、ついうっかり揉まれてしまう。侮れない。彼等は他人の肩を眺めながら暮らしているに違いない。隙あらば揉んでやろうと虎視眈眈の日々なのではないか。この肩は揉み甲斐がありそうだな、などと思いつつ名刺交換をしているのではないか。初対面の人のどこを見るかというありがちな質問があるが、連中は肩を観察しているのだ。そうに違いない。いつかあの肩を揉んでやるという悲願を胸に、うずく腕をひた隠しにしているのだ。あの肩を揉むまでは死ねないと、固い決意を秘めた日々を送っているのだ。そうに決まっている。
 でなければ、あんなに喜々として他人の肩を揉めるものではない。満面の笑みをたたえてその肩について論評を加えるものではない。控え目な表現ながらもきわめて誇らしげに自らの肩揉みの技量に言及するものではない。
 彼等はなにゆえに、他人の肩の凝り具合について詳細な論評をなすのか。あの肩は凝っていると目を付けた己の慧眼の確認作業なのではないか。それは自己満足ではないか。彼等はなにゆえに、揉まれる者に対して気持ちが良いかと問うのか。気持ちが良いだろう、という反語をなぜ呑み込むのか。そんなに自信があるのか。肩揉み好きはすべからく己の技術に自信を持っているが、あれはいったいなんだ。
 いやまあ、肩を揉まれりゃ気持ちがいいからいいんだけどさ。
 実際、揉まれている間はたいへん心地よい。
 揉み終われば、また元に戻る。肩揉み後に、すっかり肩が軽くなりましたお蔭で助かりましたあなたは命の恩人ですと言って泣くといった展開にはならない。前後に、なんの変化もない。
 はたして我が肩は真に凝りしか、と疑問が浮かぶ瞬間である。
 だが人を疑ってはいけない。親切に肩を揉んでくれた人を疑ってはならない。幾多の肩を揉んできた歴戦の強者が、おしなべて私の肩は著しく凝っていると指摘しているのだ。
 私の肩は凝っているのだ。自分に強くそう言い聞かせるより他に、いったい私になにができるだろう。
 私にできることはただひとつ、EW433を使用することだ。いきなりの飛躍だが、肩が凝っていようといまいと、肩を揉まれている間は気持ちがいいのである。他にも揉まれると気持ちがいい部位は存在するが、ここでは考えない。
 気持ちがいいことは率先して享受したい。私は肩を揉まれたい。とはいえ、何人もの肩揉み好きを知ってはいるものの、いちいち呼び出すわけにもいかない。それに、彼等はひとのために揉んでいるのではない。自分の快楽のためにたまたま他人の肩を揉んでいるにすぎない。
 EW433の登場だ。さあ、働け、EW433よ。揉め、私の肩を揉みほぐすのだ。私の肩凝りが解消するかどうかは気にするな。オレも気にしてないから。その間だけ、気持がよければそれでいいぞ。どのみち、使用の前後に変化はないんだ。効くか効かないかはどうでもいい。使用後に、効いたと思ったオレが存在すればいいんだろ。任せとけって。
「あう」
 スイッチを入れた瞬間の私の第一声は、常に情けない。しかも目盛りは最弱だ。
 EW433の最強に耐えられる人は果たしてこの世に存在するのであろうか。
「あぅ」第二声も、「ぁぅ」第三声も、情けない。
 気持ちがよければそれでいい。
「ぁぅぁぅ」

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