069 96.09.30 「竹田さんの安らぎ」
社内の自動販売機に110円を投入したところ、いきなりごろんと缶コーヒーが出てきた。
?
あら? あらららら?
どうしたんだろう。ウーロン茶を買おうと思ったんだけどな。間違ってボタンを押しちゃったのかな。時々、記憶が途切れることがあるけど、また起こったのかな。俺の頭、やっぱり変なのかな。どうしたのかな、かなかなかなかな、と、ヒグラシになっているうちに、そもそもボタンなどは押していないことに思い至った。100円玉と10円玉をそれぞれ投入しただけだ。間違いない。断言してもいい。ボタンなど押していないぞ。ねえ、聞いてくださいよ。私はね、ボタンなんか押していないんです。道行く人に訴えようと思ったが、ここは社内の廊下で、あたりに人影はない。
ちぇ。
それにしても、どういうことなのであろう? なぜ缶コーヒーが? はて? 仕方なく缶コーヒーを飲み干しながら怪奇ハテナ男と化していると、背後から肩を叩かれた。
「いやっほ~」
能天気である。竹田弘子、そのひとであった。夫も子もいる身でありながら、このひとはどうも軽い。いきなり飛び出してくる。物陰に隠れていたもののようであった。
「ねねねねね、飲んだ? 缶コーヒー、飲んだ? 飲み終わった?」
は? はあ。
「の、飲み終わったけど」
「そそそそそ。じゃあ、空缶ちょうだい」
「空缶?」
「そうそう。空缶よ。ちょうだい」
わけがわからないが、竹田さんの気迫に押されて、飲み終えた缶コーヒーの空缶を手渡した。
「ありがっと~」
竹田さんは、空缶からシールを剥がし、かねて用意のハガキに貼った。
なあんだ。
「なにが当たるの?」
「がんばってコートよ~」
「誰がコマーシャルやってるやつ?」
なにしろ、プレゼントをばらまかない缶コーヒーはない。
「飯島直子よ~」
「ああ、あれね。あ~オトコの安らぎ」
「そ~そ~そ~」
「しかし、暇だねえ。誰かが缶コーヒーを買うのを見張ってるわけ?」
「そんなに暇じゃないわよ~。わたしにもシゴトがあるのよ」
「そう?」
そうは見えねえなあ。
「そうなのっ。さあ、シゴトシゴト。あんたも励みなさいよ。さあ、頑張っていこっ」
竹田さんは小さくガッツポーズをつくった。飯島直子の真似をしているつもりらしい。
「……似てないけど」
「それは言いっこなしよ~」
竹田さんは、がはははと笑ってから、自動販売機に向き直り、缶コーヒーのボタンに貼られたセロテープを丁寧に貼り直した。
私は絶句した。缶コーヒーのボタンは、セロテープによって常に押された状態になっていたのだ。これじゃ、硬貨を入れた途端に缶コーヒーが出てくるわけだ。
まいった。
「さあ、シゴトしましょシゴト」
竹田さんは、あ~オトコのやすらぎ~、と口ずさみながら去っていった。
私は、取り残された。わしはちっとも安らいでいないぞ。あんたがひとりで安らいでいるんだろうがっ。
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