068 96.09.29 「ここでいったんコマーシャル」

 私は今、一冊の書物を宣伝しようとしているのだが、特に要請があったわけでもないのにそうした行為に走る背景には当然、ヨコシマな思惑がある。
 関係者というにはあまりにか細いつながりであり、実際のところはほとんど第三者なのだ。面識もない。しかしながら私は、この書物の著者の関係者と断ずるにやぶさかではないような気がすることであるよなあ、と古文解釈調で油断させつつどさくさ紛れに関係者の末席に連なってしまうのであった。
 つまりは、著者の妹は私の友人であり彼女の夫もまた私の友人なのであった。この姑息な宣伝活動が実を結んだアカツキには、彼等の住いに乱入した折に「いっぱいビールを呑ませてくれる」「うっかりしたふりをして役満を振り込んでくれる」といった果報が期待できるのだ。
 では、宣伝申し上げたい。
 柳田理科雄著「空想科学読本」宝島社刊、1200円。というのが問題のブツ。
 初版は今年の3月。私が入手したのは9月20日12刷。評判の本なのかもしれない。
 宝島社から発行された時点ですでにこの書物の位置付けがなされているわけで、それが不幸なのか幸福なのか私にはわからない。おそらく幸福であろう。
 理科雄というのは本名だそうで、ずいぶん変な名であるとしか言いようがないが、これほど本名に忠実な人生を歩んできた人物もまた、ずいぶん変だ。
 この書物を支えているのは、著者の無駄な情熱だ。この世のほとんどの情熱は無駄だが、ここまで無駄を究めると感動を呼び起こす。ウルトラセブンが身長を自在に変えられることについて、理科雄さんは科学的に検証するのだ。理科雄さんの探求心は、ガメラが吐く炎の生成過程、コンバトラーVの合体方法、ゴジラの適性体重、宇宙戦艦ヤマトの重力問題、仮面ライダーのエネルギー源、といった破天荒な設定に敢然と立ち向かう。あらゆる齟齬を乗り越え、強引に検証し立証する。科学だの理科だのに門外漢の私にさえ、それが途方もなく無益な作業であることはわかる。素材として選ばれたフィクション自体のそもそもの設定が科学的には無茶なのだ。
 理科雄さんは、怪獣図鑑その他を基に彼等の存在理由を吸い上げる。そして、科学にはほど遠い居心地の悪そうな場所から、対極点にある科学が存在する住み慣れた場所へと、苦難の旅を始める。
 理科雄さんは肯定する。そういう傍若無人な設定をとにもかくにも肯定し、そこから実証への第一歩を踏み出す。大いなる無駄への第一歩だ。
 結果的に、理科雄さんの検証作業は、物事の一面しか捉え得ない。基本的に無茶苦茶な設定の全体像を視野に入れて俯瞰するのは不可能なので、これは当然の措置だ。
 理科雄説によれば、ウルトラセブンが例のあの寸法に巨大化するには実に15時間を要するという。科学は、そう語るらしい。理科雄さんは具体的な数字を挙げてその過程を律儀に証明していく。無駄なのだ。私のような門外漢は、たぶんその証明は正しいんだろうなと思いつつそのあたりの記述を読み飛ばす。わけがわからないからだ。理解するために必要な小学生程度の基礎的な理科の素養がない。この列島の人口のほとんどは、そうした素養がない。私もその一員だ。だから、ただ斜め読みして、結論を読みたがる。
 結論は簡単だ。難しい理論と複雑な計算の果てに、「要するに、巨大化するのは大変なのだ」と記述される。なんだかよくわからない論理と不可解な数字の羅列が導き出した答えが、これだ。爆笑。そう、私はその結論を読みたかったのだ。満足以外の感想はない。
 そんなふうにして、理科雄さんは、ゴジラは産まれた瞬間に即死するとか、レッドキングを投げたウルトラマンは自分自身が気絶するとかの結論を提示する。
 この本は、そうした無益な思考の集成だ。買われなければならない。
 私としては、とにかくこの本を買ってください、としか言えない。図書館で借りたりしてはいけない。友達に借りるのもよくない。出版社は売り上げの実績をもって、次回作への執筆依頼をするのだから、続編あるいは同じ思想に貫かれた新たな一編を読みたい私としては、ぜひとも購入をお願い申し上げる次第だ。読まなくてもいいからさ。おいおい。
 私が愛してやまない無駄が、「空想科学読本」には充満している。

←前の雑文へ目次へ次の雑文へ→
バックナンバー 一覧へ混覧へ