049 96.07.11 「おいしい召し上り方」
インスタントラーメンを、ちゃんとつくってみよう。
用意したのは、「サッポロ一番 塩ラーメン」というものである。藤岡琢也のCMで世によく知られている。
まずは、諸元を確認してみたい。製造者はサンヨー食品株式会社となっている。住所からは、港区赤坂に自社ビルを所有している事実が判明する。同時に、内容量が100グラムであるという事実も明らかになる。そのうち、めんは91グラムだ。原材料に目を転ずれば、この商品は三種の要素から構成されていることが白日の元に曝される。「油揚げめん」「添付調味料」「やくみ」である。それぞれについて、原材料が細かく記されている。特に怪しげな材料は混入していないようだ。クチナシ色素の存在が多少気にかかるが、そんなに悪い奴ではあるまい。渡哲也にめんじて見逃してあげよう。
以上のような身分証明は主にJAS方面、具体的には社団法人日本即席食品工業協会の指導に基づくものであろう。そんな法人の存在はいま初めて知ったのだが、まあそんなことはどうでもよい。そのスジの用語によれば「調理方法」と標記される行為が、今は問われている。諸元には、「調理方法」は「左欄に記載してあります」となっている。そこには「調理方法」は記載されていない。どうやら、「おいしい召し上り方」という一連の説明がそれに該当するようだ。
真摯な態度でインスタントラーメンをつくってみようとしているのだが、調理に至るまでに意外にも想像力を駆使しなければならない場面が多く、私はたいへん苦慮している。とにもかくにも、ようやく実践に辿り着いた。早速ガイダンスに従ってカリキュラムを進めてみよう。
「十分に沸騰しているお湯500ccにラーメンと、あり合わせの野菜を加え、3分間煮てください」
いきなり、時間が経過しているので驚く。私はかねがね、インスタントラーメンをつくるのに最も適した鍋の形状及び材質はいかなるものであろうかという疑念を抱いたまま今日まで生きてきたのだが、その回答は与えられていないようだ。即席麺業界でも未だ意見の一致を見ない根源的な命題なのかも知れぬ。また、火力を使用できない賃貸マンション等における電磁調理器の限界といった問題にも目を向けて欲しかった。残念だ。
とにかく、そのへんにころがっていた雪平鍋に550ccの水を注ぎ、ガスレンジにかけて沸騰の時を待つことにした。この行為は「550cc(3カップ弱)の水を沸騰させると約500ccのお湯になります」との注意書きが根拠になっている。沸騰するまでの間に50ccが気体と化すらしい。沸騰させたままにしておくとすべてが気化してしまうので、じっと鍋を注視する。500ccの沸騰しているお湯が必要なのだ。1ccたりとも欠けてはならぬ。が、そのうち目が疲れてきたので、冷蔵庫方面に逃避する。一方で、私は「あり合わせの野菜」を用意するという問題を抱えていたのだ。
山芋、トマト、春菊、かぶ、セロリなどが蒐集された。よりによって、という顔ぶれである。なぜそんなに個性的な連中ばかりが。謎の野菜室といえよう。しばし黙考し、かぶの葉っぱの部分のみを採用することに私の衆議は一決した。
ふと気づくと、鍋が沸騰している。私は混乱した。もしかすると、沸騰し始めた瞬間を見逃してしまったのではないか。お湯の量が減ってしまったのではないか。うかつであった。唇を噛みしめ、鍋に水を足し、再び訪れる沸騰の時を待つ。その間にかぶの葉っぱを切る。包丁の切れ味が悪い。研ぎ始める。その作業に没頭してしまった。
ふと気づくと、鍋が沸騰している。私は惑乱した。(中略)再び訪れる沸騰の時を待つ。
包丁が研ぎ上がったので、さくさくと葉っぱを切る。横目で鍋に視線を走らせていたのが良くなかったのであろう。指先を切ってしまった。いてててて。絆創膏を探してかけずりまわり、応急処置を終えて再び戦場に舞い戻ると、鍋が沸騰している。私は逆上した。(中略)再び訪れる沸騰の時を待つ。
このような試行錯誤の時代を経て、ようやく500ccの沸騰しているお湯が得られた。あり合わせの野菜の準備も万全だ。すかさずラーメンとともに投入。なお、「ラーメン」とは、原材料表記において「油揚げめん」とされていたものである。訓練の結果、さすがに私も想像力の働かせ場所を学び、そうした機転を利かせられるようになっているのだ。
ストップウォッチ片手に3分間煮るわけだが、強火がよいのか弱火がよいのか、そのあたりが記されていないので、不安に駆られる。更には、冷蔵庫の野菜室に入れておく必要がなかったタマネギの存在に気づき、激しい後悔を覚える。なぜ野菜室しか探さなかったのか。ばかばか。と、己の頭をぽかぽか殴っていると、3分間が経過した。
次のカリキュラムに進もう。
「めんがほぐれましたら火を止め、スープを加えてください。どんぶりにうつし、切り胡麻を加えてお召し上りください」
うわあ。どうなっているのだ。「3分間煮る」のか「めんがほぐれるまで煮る」のか、いったいどっちなんだ。新たな難題に直面し、私は当惑した。しかし当惑していると麺が伸びてしまうので、思考停止という緊急避難を敢行し、すかさずスープを投入した。「スープ」とは、もちろん「添付調味料」のことである。ちなみに、「切り胡麻」が「やくみ」であることは言うまでもない。
こうして精神に著しい疲労を蓄積させながらも、なんとか完成の暁を迎えた。感無量である。こみあげる涙をこらえながら、更に「おいしい召し上り方」を読むと、二点の提案がなされていることがわかった。
「生玉子で、かき玉風に料理してもおいしいです!」
「バターをのせますとバターラーメンになります!」
なにも「!」をつけるほどのことではないようにも思えるが、なんだか微笑ましいのでとりあえず後者を採用することにした。なにしろ、バターをのせるとバターラーメンになっちゃうのである。知ってはいたのだが、「なります!」と言われると、「そうか! そうであったか!」と、妙に得心してしまうのであった。
その頃、戸外では新聞屋さんが私の部屋に接近しつつあった。
最初の一口を啜り込もうとしたところで、呼び鈴がなった。集金に来たのである。新聞屋さんは、細かい釣銭をかばんの奥底をかき回して探し出す、支払いが済むと購読期間の更新を求める、といった手法で私の貴重な時間を奪っていった。
食卓に戻ると、すでにスープは冷め、麺は伸びている。
ぐすん。
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