040 96.06.21 「深爪の男」
無器用である。
いきなり主語を略してしまったが、もちろん私が無器用なのである。もう、ほんとに無器用。情けないくらいに。しかも、不器用でもある。同じだけどさ。
無器用という表現が出現するときは、通常ふたつの対象が考えられる。と、無器用なくせに思っちゃうのだ。手先と生き方、このふたつに大別される。もちろん私は両方とも該当するのだ。生き方のほうは、まあどうでもよい。時には誉め言葉になったりする。実際には、無器用どころではない。下手としかいいようがない。ま、あなたもそうでしょうが。生き方が下手なのは、たいていのひとの密やかな願望で、そのほとんどすべての方々がそれを実現している。この点では、私も変わりはない。
ここでは、手先が無器用であるという厳然たる事実を直視してみたい。いつもは横目でちらりと盗み見ながらも気づかないふりをしてきたが、やはりこのへんで、私という道具の性能について考えてみたい。このへんって、どのへんだかよくわからないけど。
大根を千六本にすると各々の断面積がすべて異なる。シャツのボタンを1ケ縫いつける間に、最低3枚のバンドエイドを要する。RAMを入れ換えようとするものの力の加減を間違えて、数万円をどぶに捨てる。オートマチックのギアを入れ間違えて、人を轢く。などなど。
目下のところ懸案となっているのが、深爪である。ふかづめ。いやあ、よくやるんだよね、深爪。私の見解では、10本の、いや9本でも8本でもかまわないが、そのうち1本くらい深爪したってべつにたいしたことじゃなかろう、と思う。単にひりひりして痛いだけだ。我慢してればそのうち治る。血が滲んでカサブタとなることもあるが、よくあることなのでちっとも気にしない。すべての指を深爪したわけじゃない。
だが、そうではなかったのだ。ただの1本でも深爪すると、そやつは大変に無器用な人物であり、人格破綻者であり、禁治産者であったのだ。いやそんなこたないが、非常に珍しい馬鹿野郎ではあるらしい。
えらく笑われてしまった。ほとんど毎回深爪するって言ったらば。
そ、そうだったのか。みなさんは深爪しないっすか。あららら。まいった。
みんな、爪切りがうまくて、いいなあ。どうしたら、そんなにうまくできるの。そう訊いたら、また笑われた。上手も下手もないんだって。ほんと?
うそだよなあ。爪切りしたら、誰だって深爪するだろう。ちがうの? へ~、ちがうのかあ。まあ、どうでもいいけど。は? べつに恥しくないけど。はい。深爪したことを告白することは、私、べつに恥しくありませんが。
ゑ? 深爪は恥しいことなの?
あ。
世間の常識とは、そのようになっておりましたか。
ついていけねえよな、そんな常識には。
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