030 96.06.05 「D棟102号室のドア」

 私の部屋はB棟102号室で、D棟102号室の新井さん宛の郵便物が時々迷い込んでくる。たいした手間でもないので直接新井さんの郵便受けに入れてくることにしているのだが、近頃どうも新井さんの様子がおかしい。
 郵便受けはドアに備えつけられていて、必然的に私は新井さんの部屋のドアを目にする。このドアに昨今の新井さんの怒りが反映しているのだ。新井さんには会ったことがないのでどのような人物なのかわからないが、かなり怒っていることはこのドアの現状を見ればすぐわかる。
 以前貼ってあった「新聞の勧誘おことわり」のステッカーがなくなっている。どこにでも売ってるやつだ。こんなの貼って効果あるのかなあ、と思わざるをえない代物だが、やっぱりそうだったようで、役立たずなステッカーは剥がされていた。代わりに登場したのが、ワープロで作成したらしい張り紙だ。「新聞の勧誘員に告ぐ。私は死ぬまでサンケイ新聞を購読し続ける。ただちに立ち去りたまえ」。なんと、命令口調だ。怒ってる怒ってる。しかも、余白に手書きの文字が書き加えられている。「特に、ヨミウリ。俺はナベツネの野郎が撲殺したいくらい大っっ嫌いなんだ!」。こわいこと書くなあ、新井さん。
 まあ、確かに読売新聞の勧誘は入れ替わり立ち代わりやって来て、うっとうしい。あそこはいろんな勧誘組織が独自に動いているらしくて、いろんな人が読売新聞というただひとつの商品を売りに来る。あれ、逆効果だよなあ。その全員が「巨人戦のチケットは誰にでも喜ばれる」という得体の知れない幻想を抱いてるあたりは笑えるんだけど。そんなの、いらないよなあ。一度、「巨人はどうでもいいんだけど、ヴェルディのチケットはないの」と訊いたら、勧誘員、困ってたっけな。
 新井さんの怒りは宗教関係者にも向けられる。この張り紙もワープロで作成されている。「私は神を信じない。仏も信じない。すべての宗教を信じない。救われなくて、結構だ」。毅然としている。「信じない」はすべて倍角だ。あっぱれ新井さん。でも、あの方々は「このような方をこそ、正しき道に導こう」って考えるかもしれないぞ。効果、あるんだろうか。なんたって、あの方々はこちらの話を聴こうとしないもんなあ。謎めいた話をいきなり始める。しかも、自分がどのような人物であるか、こちらから尋ねるまで名乗らない。非礼といえば非礼なのだが、こちらの常識とあちらの常識があまりにかけ離れているので、咎めてみ ても無駄なのだ。この張り紙も無駄になるんじゃないかな。「この張り紙が見えないのかっ」って怒っても、あの方々には通じないと思うな。
 不動産会社の販売営業担当者も、新井さんの怒りの対象だ。マンションを購入しませんかというやつ。近所に部屋の埋まらない新築物件が数軒あって、この一帯は彼等の有望市場となっているらしいのだ。新井さんの主張は妙に整然としている。「マンション業者の方へ。あなた方の経済状況に対する見通しの甘さのツケを、私のところに持ち込まないで下さい。私は千坪ほどの土地を所有しておりますので、マンションを購入する必要はありません」。この相手には理が通じるので、効果はありそうだ。確かに、逆算すればバブルの頃に計画された建築物には違いない。が、しかし、この張り紙を見てすごすご帰った販売営業担当者から話を聞いた企画営業担当者が「その千坪の土地を当社とともに有効活用してみませんか」と、やって来るかもしれないぞ。新井さん、百坪くらいにしとけばよかったのに。
 以上がワープロで作成された張り紙だが、まだあるのだ。これは手書き。「あ、そうそう。宅配ピザ屋の諸君、君達が配ったパンフレットは見向きもせずに廃棄されておるぞ。無駄なことはやめなさい」。あとから気づいて張り足したらしいが、なにもその気分を律儀に「あ、そうそう」などと表現しなくてもいいのにな。
 このような次第で、新井さんは怒っている。しかし、怒っているばかりじゃないのだ。ドアの隅っこのほうにもう一枚、微笑ましい張り紙があって、訪れる者の心を和ませてくれるのだ。
「ただし、裏ビデオ通信販売のパンフレットは歓迎」
 なにが、「ただし」なんだか。もう、新井さんってば。

←前の雑文へ目次へ次の雑文へ→
バックナンバー 一覧へ混覧へ