006 95.11.13 「渡辺満里奈に気づく」
いまCM界に未曾有の異変が起きている。とかなんとか、もったいぶりつつも大上段に振りかぶって語り始めてしまいましたが、いやあべつにたいしたこっちゃないんです。だいたい、未曾有ってなんだろ。よくわかんないで使ってるんですけどね、みぞう。
露出度という業界方言があって、いや私はべつにその業界にはなんの関係もないんですが、この露出度のなかで重きをなしているのがCMというものらしいんです。好感度ってのと重なってくる部分ですね。
で、渡辺満里奈なんですが、さいきんCMにおける露出度が高いな、と感じるわけです。三浦友和とやってるセフィーロとかカップ麺のJAPONとか、ですね。他にもいろいろ。特にセフィーロのCMで、三浦友和の顎のあたりにおでこを預けるときの表情の移ろいは出色です。あ、出色というのは私の主観なので、あまり気にしないでください。お、いいじゃないですかあ、と勝手に思ってるだけなんです。
んんと、このひとはおニャン子クラブ出身のひとなので、考えてみればもう10年も芸能界にいることになります。アイドルだった時代があったわけです。アルバムなどというものを出した過去もあるんです。いや、笑っちゃいますけどね、今となっては。
その後バラエティ番組に出演しつつも、バラドルと呼ばれる罠を巧妙にすりぬけながら、というかそこまでのインパクトを持つこともなく、やってきたわけです。これ、という個性がないんですね。そしてこの点が凄かったわけです。嫌われないんですね。嫌われないのに、というのは別に反語じゃないんですけど、飽きられもせずにバラエティ番組のなかにその命脈を保ってきたわけです。立派です。もはや、ほとんど結論を語ってしまいましたが、渡辺満里奈というひとの真価はそこらあたりにあったと、今にしてみれば思うわけなんです。
このひとは、ずっと変わることがなかった。
その賞品価値に気づくべきだった業界の人々が、そこに行き着くまでにあまりに時間がかかりすぎてしまったみたいです。そんな気がします。プロが見過ごしてたんだから、私達は実際に作品が放映されるまでわからなかった。
こういう展開はちょっと思いだせません。初めてじゃないですか。イメージチェンジという契機がまったくないのに、10年選手がとつぜん注目を浴びてしまったわけです。離婚もヌードもないんです。私たちは、浅野温子と浅野ゆう子という例を知っていますが、これとも違います。この方たちは商品としての自然な自分というものが前面に出てきて初めて新たな脚光を浴びたわけですが、渡辺満里奈はそうじゃないんですね。どうも、よくわからないひとです。
とにかく、わかりません、このひとは。
時代というとおおげさですが、その価値観が変わったとも思えません。本人も周囲もさして変化したわけじゃないですよ。渡辺満里奈御本人は、だらだらとなすがままにやってきた、かのような感想を洩らすような気がします。
結局、気づく、っていうのは、偉大な変化なんだろうなあ。お互いに。
とかなんとか、考えるわけです。
なんだか、どうでもいい話だったな。
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