224 99.05.11 「不忍池の下手くそ達」

 東京都上野恩賜公園などと、正式名称はなにやらとんでもないことになっているが、つまりは上野公園である。動物園だの博物館だのがあり、上野駅のすぐ傍にある上野公園である。西郷さんと花見で有名なあの上野公園である。池もある。不忍池というのがそれだ。どうしたものか、そうした領域に足を踏み入れたのであった。
 待ち合わせの時間を間違えて一時間の余裕ができた。そんじゃあ、ちょいとそのへんをぶらついてみっか、というので、私といったものは連休でにぎわう不忍池のほとりに出現したのであった。
 そのすぐ傍を幾度となく通過してはきたが、実際に足を踏み入れたのは初めてである。まったくもって知らなかったが、ここは観光地なのであった。斜め上に視線を巡らせれば周囲はビルばかりだが、不忍池は観光地なのであった。観光地であるかどうかの判断は、単純である。缶ビールの値段がすべてを律する。不忍池において、350ml缶は厳然として五百円であった。法外である。観光地と断じて、なんら恥じるところはない。園内から出てほんの一、二分も歩けば、必ずや通常の価格で商われている自動販売機に出くわすことであろう。運がよければ、激安店に邂逅するかもしれない。それでも、ここは不忍池、観光地に他ならない。五百円の理不尽が罷り通る。露店商のおにいちゃんに五百円玉を差し出しながら、理不尽と貴婦人は紙一重などと謎のフレーズが脳裡に渦巻き、いささか混乱気味の私なのであった。
 そうなれば、酒肴も必要であろう。なにしろ観光地なので、露店商が軒を並べている。焼きトウモロコシといった王道から、中華風揚げパンやらトルティーヤやらシシカバブやら、おまえらこんなとこにいていいのかと一言たしなめてやりたくなるような異端の顔触れまで、世界の庶民の食文化を一同に会してみました、といった風潮に支配されているのであった。私はちょっとアンニュイでニートでカルビな気分だったので、カルビ焼といったものを選択した。とても一口では頬張れない肉片が五つ、玉葱を介在させつつ串刺しになっている。これも五百円也。
 さっそく池のほとりのベンチに陣取り、入手したてのカルビ焼とビールの摂取にとりかかったが、私の関心はすぐに三分裂した。
 ひとつはいうまでもなく、当面私に課された飲食である。
 もうひとつは、目の前の池で展開されている子ガモの食糧取得活動である。
 さらにひとつは、隣のベンチで繰り広げられている大学生らしきカップルの口喧嘩である。
 口はカルビ焼に、目は子ガモに、耳はカップルに、それぞれ釘付けとなった。
 カルガモ、マガモ、フェラガモなど、鴨の氏素性も様々であろう。当然のことながら私はそうした方面の知識に疎く、そのカモの種別は不明である。が、子供であることはわかる。体長十センチほどで、なかなかに愛らしい。子ガモ君は、なにやら覚束ない潜水を何度も試み、餌の捕獲に余念がないのであった。
 隣の二人は口論に余念がなかった。美奈君が声高にまくしたてるので、その一切の内容は周囲にくまなく知れ渡っていくのであった。喧嘩の原因は、主に健太君の操船技量の不足に求められるようであった。最前まで手漕ぎボートを池面に浮かべ、風流のいったいなんたるかを究めんと高い理想を掲げたはずの二人であったが、健太君のオールさばきがあまりに拙かったため、理想はあえなく幻想と化し、二人の間に亀裂が生じたもののようであった。水しぶきが髪にかかった服にかかった、と美奈君はかまびすしいのであった。どうしてくれる、と健太君に迫る美奈、ハタチの春であった。迫られて閉口する健太君、ハタチの春は哀しかった。
 私も閉口していた。カルビ焼の肉片の串離れの悪さが、私を閉口の人と化さしめるのであった。三十センチほどの竹串である。平串であり、肉との接着面積は小さいとは言い難い。串の摩擦係数が高いのか、肉片自体の付着力に並々ならぬものがあるのか、その相乗効果のなせるわざなのか、肉片はうまく串から抜けてくれない。私の不器用加減を差し引いても、いささかの問題を内包した串離れの悪さである。こちらの顎の筋肉が肉離れしかねない。口のまわりを肉汁でてからせながら、悪戦苦闘する私なのであった。
 子ガモ君の悪戦苦闘も特筆に値するだろう。親離れしたばかりと推察されるこの子ガモ君も、なにか上手にはなれない哀しい運命を背負っているようであった。先ほどから何度も潜水を企てているが、ふたたび水面上に浮上してきた折にそのくちばしに獲物を捕らえてきた試しがない。空振り子ガモ君なのであった。大物狙いのタイプなのかもしれない。常にホームランを狙って大振りする手合いなのかもしれない。それもいいだろう、名も知れぬ子ガモ君よ。背伸びする時代は、誰にでも必要だ。
 健太君も背伸びしたようであった。どうも、初ボート体験であったらしい。なんだろう、子供の頃、なにをやってたんだろうか。二人の口論は小休止の気配が濃厚となりつつあった。どういう展開でそうなるのか、美奈君がオールの使い方を健太君に教授しはじめたのである。健太は水中深くオールを入れないからダメなのよ、などと美奈君、鼻高々である。まずいんじゃないか、そういう物言い。まずかった。まずかったのである。健太君、キレました。大いに怒った。憤然健太、すくっと立ち上がった。うるさいっ、だまれっ、などと仰る。お。かっこいいじゃん健太君。あとのことは知らないけどね。
 私はかっこわるい。隣のベンチはドラマティックな展開を見せているのに、ふんぎぃぃといった形相で、歯を食いしばって肉片を竹串からむしり取ろうとしているのである。周囲の視線は隣のベンチのソープボックスオペラに注がれており、その視界には私の情けない姿が入っているのであろう。屈辱である。昔馴染みの屈辱である。またこやつと出会ってしまった。会いたくないと常々言っておろうが。とれない肉片、会いたくなかった屈辱。世界はこのふたつで構成されているのだろう。
 子ガモ君の世界は、どうしてもとれない獲物とどうしても獲物をとれない自分とで構成されているようであった。彼の体力は限界を間近に見つめたようであった。池面にしばし子ガモ君は漂って、なにやら小首をかしげている。もはや感情移入している私には、子ガモ君が「ぼく、なにをまちがってるのかな」と言っているように見える。子ガモ君よ、そうじゃないんだ、俺達はなにもまちがっちゃいないんだ、ただ単に下手なんだよ。つまりは、下手くそなんだよ。君は餌をとるのが、俺はカルビ焼を食うのが、健太君はボートを漕ぐのと女性とつきあうのが。
 下手くそなんだよ、俺達。
 健太君は、ほんとに下手くそだった。「あ。あ。ごめん。ごめんなさい」ときたもんだ。そりゃあねえだろう。深層では共感するけど、そりゃなかろう健太君よ。せっかく、かっこよかったのになあ。終わっちゃった。美奈君は、もうなにも言わなかった。なにも言わないで、さっさと帰っちゃった。ま、そりゃ、帰るわな。健太君、茫然。茫然としながら、よろよろと退場。
 いやあ、そういうのってよくあるよ、健太君よ。彼女達は、なんだかいきなり帰っちゃうんだよな。失礼だよな。本件について君はどう思うかね、子ガモ君よ。
 子ガモ君の姿は掻き消えていた。河岸を変えたのだろうか。健太君の敗北を目の当たりにして、なにか思うところがあったのだろうか。
 わからない。わからないが、私の咀嚼活動は実はその間も続いていたのであった。ようやく最後の肉片に辿り着いた。思えば長い道程であった。束の間の戦友はどちらも消え去ってしまった。私ひとりが、不忍池のほとりでためらっている。
 最後の肉片は生焼けだった。火が通っていなかった。
 もう立ち去れ、とカルビの神様が諭しているのだろう。待ち合わせの時間も近い。
 すべてを食えなかったカルビ焼と、これはしっかりすべて飲み干したビールの空缶をクズカゴに捨てた。
 そうして私は不忍池に背を向けた。
 どうしようもなく下手くそな戦友達の健闘を祈りつつ。

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