214 98.12.25 「寒い寒い寒い夜」

 その晩は近来まれに見る寒さだった。
 歩道に佇んで待ち人をするには最適の気候だよねっ、などと脳天気に主張する輩が現れたなら、ただちに切り捨てていただろう。だよねっ、じゃねえだろっつうの、架空のひとよ。私は、ひたすらに寒いのである。凍えているのである。身を切り刻む寒さにおののきながら、歩道に佇んで人を待っているのである。
 べつに会いたくともなんともないのである。が、会わねばならぬ。かねてより先方に依頼してあった寒ブリが入荷したとの一報があったので、受け取りに出向いたのである。先方は、上質の寒ブリの極秘入手ルートを保持している。当方が願ったのだから、待ち合わせ場所を指定されれば、そこに赴かざるをえない。
 だからといって、本屋の前は、ないだろう。実際にはあったのだけれど、そりゃないだろう、と、寒さに震えながら困惑する私であった。喫茶店なり居酒屋なり、なにかしらの屋内というわけにはいかなかったのか。寒空の下の歩道で半ば放心しつつ、待ち人来らずを具現化する私なのであった。
 悪いことに、先方は遅刻である。電話を入れると、家人曰く、私に会いに出掛けたの由。こちらが無理を言って頼んだ物件だけに、唯々諾々と待たねばならぬ。待てば寒ブリの日和もあるだろう、と自分に言い聞かせ、私は足許から這い上がる寒さにただただ震えていた。
 目の前の本屋に逃げ込めたなら、どれほど幸せだろう。本屋は暇つぶしの殿堂である。が、待ち人がいつ出現するかわからない立場にあっては、どうにも身動きならない。目前にある快楽にあえて背を向けて、いつ訪れるかわからない待ち人の来訪を歩道で待つしかなかった。
 上空のオホーツク寒気団を恨んでいるうちに、本屋の店頭にうず高く積まれた小冊子を発見するに至った。眺めていると、けっこうな勢いで売れていく。なんだなんだどうしたんだ、と近寄ってみたところ、新ジャンルが勃興していることがわかった。出版界は、またまた鉱脈を掘り当てたらしい。おめでとう。昼メロ、懐メロ、カリメロなどのメロ一派に、新たに着メロというものが参入したもののようである。
 幾種類もの冊子があった。携帯電話の着信音の入力データ集といった趣向である。電車の中でいきなりドラえもんのテーマ音楽がどこからかの携帯電話から流れ出して驚くことがあったが、このような背景があったのか。世の中は動いている。着信メロディ、略して着メロ。安直こそが商人の正義、を地でゆくネイミングである。たいへん、わかりやすい。
 それぞれの冊子はそれぞれに意趣を凝らしているが、つまるところ戦略はひとつしかないようであった。新曲の導入、ただ一点である。発売されたばかりのハヤリ歌を、いかに素早く収録するかが焦点となっている。即ち、雑誌のスタンスである。実像は『月刊着メロ』といったものであるらしい。それでも雑誌の体裁をあえて避ける商人達よ、あなたがたの叡智は、やっぱり素晴らしい。
 ふと気づくと、そのうちの一冊を購入していた。叡智には勝てないし、寒さが一瞬私を狂わせたのであろう。ヤメロと言われても今では遅すぎたよ、ヒデキ。
 ただただ人を待つ身である。どのみち手持ち無沙汰である。歩道に佇みながら、さっそく自らの携帯電話への入力作業にかかった。とりあえずオーソドックスに、THE SQUAREの「TRUTH」を入力してみる。収録されたデータのうち、好みにかなうのはこの一曲しかなかったのである。松岡直也の「A FAREWELL TO THE SEASHORE」は、掲載されていなかった。あたりまえだ。でも、いい曲なんだよ。って、自分に阿ってどうする。
 収録されている曲はほとんどが昨今のハヤリ歌である。スピードやらグレイやらである。つまるところ、編集者が想定した購入者層から私は逸脱しているものと推察され、哀しくなってしまうのであった。それにつけても、着信音に相応しそうに思えるスタンダードがほとんどない。私が考えるスタンダードとは、「When You Wish Upon A Star」だったり、「Take The A-Train」だったり、Pachelbelの「Canon」だったりするが、そうした認識はやはり世情からは逸脱しているのであろう。世の中は、グローブなのであった。ザードなのであった。スマップなのであった。
 洋楽系は黙殺されている。著作権の問題があるのかもしれぬ。しかし、いかにも着信音といった趣きはむしろこちらに、殊にロックにあると思うのだが、どうなっているのだろう。たとえば、Europeの「The Final Countdown」はどうか。Van Halenの「Jump」はどうだろう。Eric Claptonの「Layla」などもいいんじゃないかと思うのだが。着メロというやつには。
 あ、はいはい。購入者層じゃないです私、この冊子の。古いです、認識。錆付いてます、感性。
 エブリ・リトル・シングですね。ラルク・アン・シエルですね。この世界はそういうもので構成されていますね。ええ、ええ。それはわかってますとも。
 そうこうしているうちに、ハヤリ歌を記載されたデータ通りに入力してみてその曲を知っているかどうかを自らに問う、という遊戯を編み出した。自慰ここに極まれり、といった感がなくはない。
 入力確認のための再生を聞いて、「あ。この曲、聞いたことあるよ」とか「この曲は、知らんな」とか、ひとりごちているのである。馬鹿の所業である。寒空の下、いったい私は何をやっているのだろう。
 入力しているのである。携帯電話に。着信音のメロディを。着メロである。ハヤリものとおぼしき、あの着メロである。この着メロもその着メロも、まだ理解できてはいないが、とにかく、あの着メロである。
 たとえば、タンポポの「ラストキッス」といったような曲である。そういう曲を入力してみる。うむ。この曲は聞いたこと、あるな。「くちびるに~」とかいうのだ、たしか。数年の後に読み返すときのためにあえて記しておくが、これはモーニング娘。とかいうバンド(数年後に読み返した私よ、ここ、笑うとこね)から分離独立した(ここも笑うとこだぞ、数年後の私よ)ユニットで、つまるところオールナイターズにおけるおかわりシスターズのようなものだ(ここは、苦笑してくれ。生きていたなら)。おねだりシスターズかもしれぬ(ひきつった苦笑を頼む、老いたる私よ。まだ健在ならば)。すまぬ。おニャン子クラブを持ち出すには、老いすぎているのだ、私は。
 って、誰に謝ってるんだ。
 ようやく待ち人が現れた。寒ブリ様の御登場である。待ち人は次ぎなる所用があるらしく、すかさず去っていった。
 意表をついて、その一尾の旨いとこほとんど丸ごとといったブロック状である。ああ、食えるのだな私は。この寒ブリを。幸せが身に染みる。
 が、幸せはちょっとしたことで中断されるのである。たとえば、携帯電話がいきなり鳴る。
 鳴るちゃん憲法的に、ちゃんと鳴る。
 私の携帯電話は、律儀に応える。そんなに律儀に応えなくてもいいのに、与えられたメロディを奏でる。予め設定された音を出す。たまたまタンポポの「ラストキッス」が設定されていたなら、そのメロディを奏でる。
 「くちびるに~」
 私は右手に寒ブリの包みをぶら下げていた。左手だけを駆使し、なんとか懐中から携帯電話を取り出した。「くちびるに~」とかいうメロディを奏でる携帯電話である。私は歩道にいた。困り果てていた。着信音は鳴り続ける。電子音は鳴り続ける。「くちびるに~」。
 右手に寒ブリ、左手に携帯電話ラストキッス付き。そんなお茶目な、歩道の男。
 一陣の風が吹き、枯れ葉を舞い上げた。私の心の底にも、冷たい風が吹き抜けていった。ようやく電話に出てみると、先ほどの待ち人が、間違えて手渡した、と告げる。それは俺のだった、おまえにやるのはもっとちっちゃい寒ブリだ、と。そこで待ってろ、今から戻るから、と。
 待つしかなかった。歩道に立ちつくし、待つしかなかった。身体も心も寒かった。くちびるも、寒かった。
 とにかく寒くてたまらなかった。

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