215 99.03.06 「Corving My Way」

「コービングなわけだ、これが」
 森崎某という人物は意気込んで語り始めるのであった。この男の問題点は私の友人である痛恨の事実をはじめ数知れないが、なにか目新しいことを聞きつけるとすかさず注進の儀に及ぶ性癖もまた問題点のひとつに挙げられるだろう。悪いことに、その情報に森崎某独自の解釈、見解などが付与され、なんだかよくわからなくなっていくのが常であり、問題点は問題線へと化していくのであった。
「ちょいと小耳に挟んだんが」
 と、言うのだが、なにがちょいとなものか。
「いや、電車の中で隣り合わせた女子高生のみなさんが、しきりにコービングという聞き慣れぬ単語を連発しておったのだ」
 しきりに。連発。ちっとも小耳ではないではないか。
「よくよく聞いてみると、これがどうも、実にどうも、いやあどうも、驚くなよ」
 早く言えよ。
「コービングとは、交尾ingだったのだあ」
「ふうん」
「あ。なんだその醒めた目は。なんだその冷淡な反応は。こういうときには、ええええっ、とのけぞって驚いた振りをするのが、俺の友達じゃないか」
 俺の、ときたか。一般論にしないところが妙である。しょうがねえな、ほだされてやろう。「ええええっ」
「よくできました」
「よくやりました」
「ま、そういうわけで、コービングだ。交尾の動名詞だ。つまり、セックスだ、まぐわいだマーク・マグワイア。って、言うと思った?」
「思った」
「よく思いました」
「よく思いました」ん? あれ? ま、いいや。
「つまり、まぐわいの隠語が、いやむしろ陽語と呼ぶべきか、そういう卓抜なスラングが開発されていたのだ、女子高生のみなさんの間で」
 と、森崎某は力説するのであった。
「コービング、ってのが? 聞き間違いじゃないの」
「いやいや、あのコービングはまぐわい以外の解釈はありえない。そういう文脈で発せられた単語に他ならなかった」
 小耳に挟んだどころではなく、聞き耳を立てていた事実がすっかり露呈した森崎某は、そのように断言してはばからないのであった。
「コービングねえ」私としては呆気に取られるばかりである。
「いいだろ、コービング。素晴らしい造語だ。交尾アイエヌジー。コービング。いやはや、老いて老人力、若くて造語力だな、やっぱり」
 なにが、やっぱり、なんだか。
「いいよなコービング。コービング・マイ・ウェイ。俺は俺のやり方でまぐわる」
「どういう文法なんだ。シナトラさんに怒られるぞ」
「そりゃすまんフランク。あ、いや、俺とあいつはファーストネイムで呼び合う間柄なんだ」
 勝手にせい。「しかし、どんな場面で使うんだ」
「そりゃあ、たとえば」森崎某は一瞬絶句し、次の瞬間なにかを思いついたらしく破顔した。「履歴書だよ履歴書。趣味の欄に書くんだよ。趣味、コービング」
 こらこら。
「ボーリングとかカーリングに似てるから大丈夫だ」
 なにが大丈夫だというのか。「面接官が、このコービングとは何ですか、と尋ねるだろう。どう答えるのだ」
「スポーツなんです、格闘技の一種ですね、と、まあ、こう答えちゃうね」
「一種ときたか」
「お見合いの席なんかでも有効だぞ。趣味はなにかと訊かれて、コービングを少々、なんてはったりかましちゃう」
「はったり、とは言わないんじゃないか」
「気にするな気にするな。どんな趣味だって、まぁそれはよい御趣味で、と答えることになってるんだから」
 なってない、と、思う。
「それでな」と、言いながら森崎某はペンを取り出し、新聞紙の片隅に書きつけた。
 ‘corving’
「こういうスペリングでいってみようと思う」森崎某は明るくハキハキと宣言するのであった。
「いってみるって、ゑゑと、何をどういくんだ?」
「そんな哲学的なことは俺に訊いてはいかん」
 哲学的、じゃないと思うが。
「コービング、いえい」森崎某はいきなり全身をくねらせながら腕を振り回した。「C・O・R・V・I・N・G!」
「いやなにも、ヒデキの真似をしなくたって。Rが変だし」
「ふふん。甘いな。これは武田鉄也の真似なのだ」
 私は脱力した。「その冗談、異様にわかりづらいぞ」
「そりゃ、JORDANだけに」
 ……壮年力がついてきた、といったところであろうか。
「で、このcorvingだが、応用範囲の広さがまた素晴らしい。たとえば、接頭辞というものがある」
 森崎某はまた書きつけた。
 ‘pre-corving’
「ふむ。前戯か」
「な。この間口の広さに震撼しない者はないであろう。どうだ、偉い言葉だろう」
 偉い、かなあ。
「じゃあ、これは、わかるか」
 ‘en-corving’
「むむ。動詞につくと強調だっけ? 激しくまぐわうのか」
「おまえは頭がかたいね」森崎某は鼻で笑うのであった。「エンコーだよ。そのまんまだよ。エンコーったらあなた、援交ですがな」
 おいおい。「そういう短縮形が既にあるのに、なぜわざわざvingがくっつくのだ」
「文字で表記するときに当たり障りがなくてよいのだ。だいたい、援交は援助交際の略だが、en-corvingは援助交尾の略だ。そのへんが、ちょと違う」
 世の中にはいろんなひとがいていいのだ、と、そういう教訓を学ぶ局面なのであろう。
「こういうのもあるぞ」
 造語に目覚めた懲りない男は、更に語呂を合わせにかかるのであった。
 ‘ran-corving’
 私にも学習能力はある。「はいはい、乱交ね」
「いや、ここはだな」森崎某は嘆息した。「おいおい、そんな接頭辞はねえよ、と、ツッコミを入れるとこなんだが」
「オイオイ、ソンナセットウジハネエヨ」
「棒読みするこたねえだろうが。ま、よい。それでは次のレッスンです」
 は?
「動名詞化する前の虚飾を取り去ったコービーについて考えてみよう」
「コービじゃないのか。伸ばすのか」
「いかにも長音だ」森崎某は重々しくうなずくのであった。「こう書く」
 ‘corvy’
 なんだなんだ、どうなっておるのだ。「もはや、交尾という言葉は想起できんな」
「そこが立派なとこなわけだコービーさんの」
「人格を認めるなって」
「苗字はパウエルっていうんだぜ。うそ」
「わざわざ、うそ、って念を押すんじゃないっつうの」
「ここでは、corvyが日本語に取り込まれた際の表記、つまりカタカナ表記であるコービーについて考察してみよう」
「待て」疑義を呈さざるを得まい。「するってえとなにか、corvyは英語であると、そう言っておるのか」
「なにもそんなことは言っとらん」
「わかったわかった。米語であると、そういうことだな」
「そんなことも言っとらん。人類は分類が無類に好きだが、それは不毛だ」
「ほほう。何語でもない、と」
「いかにも」森崎某、自信たっぷりである。
 ここはひとこと諌言せねばならないだろう。「ばーか」
「ばか、とはなんだ」
「ばか、じゃないって。ばーか、と言ったのだ」
 我々はコドモか。
「まあ、よい」森崎某は話を元に戻した。「とにかくコービーだ。これは、コーヒーという日常語との類似が偉いわけだ」
「たとえば?」
「つまり、一回のコービーから愛が芽生えることもある、わけだ」
「ちょっと待て。動詞じゃなかったのか、コービーは」
「名詞でもあるのだ」
 なんだそれは。「なにかこの、場当たり的できわめて杜撰な展開に思えるが」
「俺のやることだから、それは当たり前だろう」
 ……開き直りとも違うようである。
「たとえば、こういうさりげないナンパが可能だ」森崎某は埒もない着想を披瀝するのであった。「コービーでも一回どう?」
「さりげないのか、ほんとに」
「あるいは、深夜、別れ際に恋人にこう誘いかける」森崎某は己の着想に酔い痴れていくのであった。「どう、部屋に寄ってコービーでもやっていかない?」
「やって、がすべてを破壊してるな」
「この言葉が普及すると」などと、森崎某の妄想は止めどない。「ラブホテルは、コービーコーナーと呼ばれたりするね。タウンページにコービーコーナーって分類ができちゃったりするね」
「怒るぞコージーコーナーが」
「コービーショップなんてのもできるな。大人のおもちゃだな」
「怒るぞあべ静江が」
 森崎某はもはや聞く耳を持たない。「とまあ、ざっとこういったような具合で、コービー及びコービングは普及していくのであった。いやあ、いい世の中になったもんだなあ」
 なってねえだろっつうの。

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