201 98.09.28 「かいわれ記念日」

 九月十八日のことであった。
「なぜだ?」
 私は声を荒げた。なんのキャンペーンもしていないではないか。本日をなんの日だと思っておるのだ。
「いかんのではないか」
 私の独白を耳にしたとおぼしき主婦山下良子さん(仮名)が、気味悪そうに足早に遠去かっていった。たしかに、スーパーの野菜売り場で声を荒げる男は不気味ではあろう。すまぬ、山下良子さん。その人物に悪気はないのだ。単に頭が悪いだけなのだ。悪気はないが、悪頭なのだ。許してやってはくれまいか。
 九月十八日といえば、「かいわれ大根の日」である。日本かいわれ協会が昭和六十年に制定したのである。O157騒ぎで白日の下に曝されたこのいかにも怪しげな団体は、冤罪に抗議する一方で、ひっそりとそのような記念日を決めちゃっておったのであった。
 なんとかの日というのは決めたもん勝ちということになっていて、例えば七月六日はサラダ記念日なのだと宣言してはばからない俵万智さんなどが勝っている。いや、勝った負けたはどうでもよい。誰でも、なんとかの日は制定できる。とはいえ、シャカイに認知されねば無力であって、仮に私がここで、「この味がいいね」と儂が言ったから十月八日はかいわれ大根の日、と朗々と詠んでも駄目だめ駄目だめなのよ、なのである。先人には勝てない。泣く子と日本かいわれ協会には勝てないのである。走る取的と日本かいわれ協会にも勝てないのは、いうまでもない。
 日本かいわれ協会である。日本というのは、かねて御承知のとおりこの列島に重複するくにの名称であるが、こういう大立者を冠されてはかなわない。やはり九月十八日こそがかいわれ大根の日なのである。
 なんとかの日にはこじつけ的な由来があることになっていて、かいわれ大根の日も例外ではない。その日がかいわれ大根の日であることを知ったとき、私もどうこじつけたのかを考えた。まず思い浮かぶのが、過去に謂われを求めるセンである。かいわれの祖として著名な農学者皆割太郎博士の誕生日だとか、永禄年間に宣教師チッチョリーナが本邦にその種子を持ち込んだ日だとか、まあそういったようなアレである。が、私はかいわれ大根に身も心も捧げてはいるが、その来歴には疎いのであった。かいわれ見当がつかない。さっさと語呂合わせ方面へ逃亡を企てるのがよかろう。で、古語風に「くゎ・い・わ・れ」と読ませるのだろうとアタリをつけたが、そうではなかった。事実は、なんだかめちゃくちゃなのであった。
 日本かいわれ協会の梶木英一さんが言うことには、まず、月と日が分かれる。九月の根拠は薄弱である。協会は昭和五十九年九月に発足し、その翌年の九月にかいわれ大根の日を制定した、ただそれだけなのであった。そんなことでいいのかっ、と憤らざるをえない。日に至っては、思わず絶句する着想が導入されている。「1」が茎だという。「8」は「∞」と読み替えるのだそうである。「1」の上に「∞」を乗せてかいわれ大根を想起させるというのである。イチかバチかの綱渡りである。いいのか。そんなことでいいのか、梶木英一さんっ。それで恥じないか、日本かいわれ協会っ。
 よいのであろう。ま、そんなものだ。
 それにつけても、この佳き日に、なんらの販促活動を行わないのはいかなることか。キャンペーンギャルなどを繰り出せといった無茶は言わない。せめて半額セール程度のハレを演出してはどうか。
「いかんのではないか」
 スーパーの野菜売り場で、肩を落として力なくつぶやく私である。決意する私である。お約束通りに、新日本かいわれ協会の創立を決意する私である。新日本かいわれ協会は、「かいわれ大根の日」なんて制定しない。ここぞとばかりに、「かいわれ記念日」である。「この味がいいね」と儂が言ったから十月八日はかいわれ記念日、である。
 どうですか、山下良子さん(仮名)、会員番号1番ということでひとつ手を打ちませんか。
 打たねえか。

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