190 98.07.01 「君の名は」

 名前しかわからない。会ったことはない。
 そんな「さとうあゆみ」ちゃんが、いま非常に気にかかる。姓名の語感から想像するに、女性であろう。子供であろうと考えられる。
 毎日、サンリオとかいうおもちゃ屋の前を通るのだが、なんだってファンシーショップだとそれはいったいなんだよだからおもちゃ屋だろう、ええとその、通るのだが、その店頭に名刺作成機が設置されている。子供用と見做してさしつかえない安直な機能であり、出来合いのデザインの決まった位置に名前などが決まったサイズで印刷されるものらしい。文字入力もきわめてわかりやすく、年端のいかない子供でも簡単に操作できるようである。
 何度も視界の隅に捉えているうちにいつしか気づいてしまったのだが、ディスプレイはたいがい一定の状況を示している。多くの場合、名前だけが入力され印刷に至っていない。戯れに自らの名前を表示させてはみるものの、そもそも名刺を所持する必要性がない己の分限を心得ているとか、単にカネがないとか、それを見ると入力せずにはいられない衝動を抑えきれないだけだとか、名刺をつくらない理由は子供なりにそれぞれだろう。
 そんなふうにして、ディスプレイの上に誰かの名前が残される。その誰かがその場を立ち去っても、しばらくのあいだ残っている。次の気まぐれな誰かが自らの名を入力するまでは。その間に、サンリオなどという華やかな世界の極北にいる通りすがりの不埒な人物がそのディスプレイを目にすることもあるだろう。そうして、彼はある名前に気づいたのだ。
 さとうあゆみちゃんよ、君はあまりに君の名をそのディスプレイに残しすぎてはいまいか。
 思い返せば、さとうあゆみという名はそのディスプレイ上で頻繁に目にしていた。銀行の用紙記入例の山田花子のようにあまりに目に慣れ親しんでいたせいか、その頻度が物語る異様さに気づかなかった。
 気づいてしまえば、さとうあゆみちゃんがなしてきた行為の異常性に胸をつかれずにはいられない。どうしたんだ、さとうあゆみちゃん。名刺をつくるカネがないのか。そんなに自分の名刺が欲しいのか。名刺作成を禁じられている家訓をあえて侵せないのか。勇気がないのか。どうだろう、さとうあゆみちゃん。思いきって、一度つくってみてはどうだろうか。新たな世界が君の目の前に広がるかもしれん。いつまでも文字を入力してばかりもいられまい。飛ぶのが怖い、などと言ってもいられないだろう。いつかは扉を開けねばならぬ。さとうあゆみちゃん、君の正念場だ。遠い将来に、そんな他愛ないことを決心しかねていた自分を懐かしむ日が訪れるものだ。さとうあゆみちゃん、蔭ながら君の飛躍を祈ってやまない。
 そうではないのか。さとうあゆみちゃんの与かり知らぬ事件なのか。さとうあゆみちゃんに恋心を抱く何者かの犯行なのか。仮名だが、なかむらかつみくんの犯行か。どうなんだ、なかむらかつみ。いじましいにもほどがある。白状せい。故郷のおふくろさんが泣いているぞ。カツ丼食うか。
 さとうあゆみちゃんを妬むものの仕業である線も捨て難い。さとうあゆみちゃんは一種のバーチャルアイドルで、文字だけで確かに存在している単なる時代の申し子なのかもしれない。それとも、本名はやましたあゆみちゃんだったりするのか。やましたあゆみちゃんの母と離別した父正治さんが、娘に会えないという離婚調停条件の辛さを紛らわそうと、自らの苗字を重ね合わせて我が娘を偲んでいるのかもしれない。さとうあゆみちゃんは、いまどこで何を思い何をしているのだろう。
 さとうあゆみちゃん、君は今、幸せだろうか。

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