191 98.07.07 「道端の一人芝居」

 かねがね気になっていた物件であった。しかし、立ち止まってしげしげと観察するのははばかられた。かなり狭い道路ではあるが、人通りは多い。いわゆる一間道、つまり幅員1.82メートルの細道であるにもかかわらず、規模の大きな団地と駅を結ぶ歩行者の幹線であり、沿道には高校がある。近道であるならば、いかに狭かろうが、人はその道を通る。
 考現学やらトマソン物体やらが赤瀬川一派の暇力によってもてはやされるようになって久しいが、当該物件もまたその類の代物なのではあった。私もいささかながらそうした嗜好を有しており、その道路上の扉については、かねてより深い興味を抱いていたのである。
 とはいえ、その場に立ち止まって当該物件をじっくり観察するのは至難の技であるように思われた。その人通りの多さが、私をためらわせていた。道路というよりもむしろ通路と称したほうが似つかわしく、立ち止まると邪魔なのである。多くのひとの通行の妨げになりかねない。
 しかし昨今の社会情勢の変化は著しく、立ち止まるべきではない場所で立ち止まってもその無遠慮な行為が黙認される情況が出現したのだ。携帯電話というものがその所業の一端を担っている。道端で携帯電話を使用しつつ立ち止まっている人物は、迷惑げな一瞥を浴びながらも許容される事態が発生したのである。
 立ち止まってもよいのだ。
 しかし、私が当該物件の前を通りかかった瞬間に、折り良く私の携帯電話が鳴り出すはずもない。自らかけるしかなかった。
 そうした背景を背負って、私はこのほど、ついに立ち止まったのである。
 おっと、そうだそうだ、電話をかけなきゃ。といった演技を過剰に滲ませながら、私は携帯電話を取り出した。不意に立ち止まったため、背後にいたらしい女子高生が不快そうに私を見やって通り過ぎていった。すまぬすまぬ。
「あ~、もしもし、オレだけどね」
 とは言うものの、誰かと話そうというわけではない。演技である。電話をかけている演技をするだけである。ひとと話していたら、本来の目的である物件の観察に集中できない。電話をしているふりをしながら、謎の道路上の扉をじっくり観察しようという魂胆である。
「あの件なんだけどさ」
 どの件であろうか。
 電源は切っておく。さすがに、その程度の猿知恵は働く。一人芝居の最中に電話がかかってきたら目も当てられない。話しているのに呼び出し音が鳴ったら、それはあまりに間抜けである。周りの人にどう言い訳すればいいのだ。だいたい、言い訳したら変ではないか。
「そうそう、その件」
 どの件だかわからないままに、道端に佇んだ私は架空の会話を繰り広げた。
 一方で、視線は路上の謎の扉に向けられている。厳密には、路上ではない。道路に沿った民有地に扉だけが存在している。幅2メートル、高さ1メートルほどの木戸である。その背後には、道路に沿って幅1.09メートル以上の空地があり、その先に民家の塀がある。そのまた向こうに、最近改築されたばかりの住宅がある。建築基準法の定めるところにより、建築敷地は接する道路の中心線より2メートル後退せねばならないため、古い住宅を改築する際にはこうした空地がうまれる。往時の法が許したものを、現行法は許さないのである。そこまでは推定していた。
「そんなこと言ってもさあ」
 言い返したりもしてみる。
 わからないのは、なぜ扉を残したか、である。
 新たな出入口は別の場所にアルミ製の扉が設けられており、この木戸はなんの役にも立っていない。ただ、ある。誰もその扉を開けて通り過ぎはしない。
 なんの変哲もない木戸である。寛永元年から残っている由緒ある木戸といった雰囲気ではないし、物理的に撤去不能とも思われない。
「それを言われると弱っちゃうなあ」
 困ったりもしてみた。
 以前にあった生け垣は、きれいさっぱり撤去されている。木戸だけがぽつんと取り残されている。
「そうかあ。参ったなあ」
 参ったついでに天を仰ぎ、そこらへんを二、三歩、あるいた。視点を変えようといった意図である。さりげなさそうに木戸に歩み寄り、さりげなさそうにその裏側を覗いた。まったくさりげなさそうもなかった行動だが、行き過ぎる歩行者諸君よ、気にしないでくれ。
 恐ろしいことだが、携帯電話を手にして話していると、どうも行動が大胆になるようである。
「あ。そうか。こういうことだったのか」
 木戸の背面を初めて見た私は、思わず叫んでいた。
 ちょうど通りがかった小学生らしき少年が不思議そうに私を見つめた。私は慌てて言い募った。
「あ、いやいや、こっちの話」
 こっちの話に決まっているのである。
 こっちの話なんだよ、少年。
 彼が去っていき、私はしげしげと木戸の裏を見つめた。もはや、人目があまり気にならない。携帯電話の副作用のひとつと言えるだろう。
 朝顔であった。植木鉢が数個置かれ、朝顔が植えられていた。そのうちの何本かのつるが徒長し、木戸の裏側を補強する格子に絡みついてしまっているのである。改築工事中に植木鉢をたまたまこの場に移動しておいたところ、育つ朝顔は藁をもすがったらしく、結果として木戸と一体化したようだ。
「うんうん。わかったわかった」
 もはや、演技なのかどうかもわからない。
 つまりは、加賀千代女である。家主の細やかな心情が偲ばれる木戸なのであった。たぶん、秋まではこの木戸が撤去されることはないだろう。
 充分に納得できた。胸のつかえがおりた。
「じゃあ、またあとで」
 発見は常に感動を呼ぶ。
 いやあ、携帯電話って、なんて便利なんだろう。

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