157 98.01.31 「新宿駅の蕎麦」

 もはや史実と化したが、JRはその頃、国鉄と呼ばれていた。
 ついこの間のようだが、ふと気づけばかなりの歳月が流れている出来事だ。
 大学生だった我々は、新宿駅西口の改札口の外で、「本日の昼食はいかにあるべきか」といった命題について討論していた。カレーだのカツ丼だのスパゲティだの、我々はどこから来てどこへ行くのだ、といった類の主題である。
 議論は紛糾し、次第に興奮の度合いが高まってきた。「なんだとこの野郎、オモテへ出ろ」「なにを言ってやがる。ここはオモテだ」「いや、屋根があるこの場所はオモテとは言わないのではないか」「いやいや、そういうことではなく公衆の面前という環境こそをオモテということばに集約した発言ではなかったか」「それは好意的に過ぎる解釈ではないか。ことばは環境に左右される存在ではない」「なにをオモテ~話をしているのだ。俺にはわからん」「し~~ん」というような話をしているうちに、いよいよ空腹は耐えかねる段階に達してきた。
 そのとき、それまで沈黙を保っていたひとりがおごそかに申し述べた。
「蕎麦を食おうではないか」
 つまるところ誰もが自説にこだわっているわけではないので、世論はすかさず蕎麦方面へ雪崩れこんだ。
「幸い、私はたいへんうまい蕎麦屋を知っている」
 彼は、決定打を放った。
 声にならないどよめきが一同の間から湧き起こった。実にどうも、彼はこの瞬間から救世主となったのだ。
「しかも、安い」
「おおっ」
 救世主のだめ押しに、信者はひれ伏すのであった。
 救世主は、国鉄の改札口へと迷える子羊達を導いた。
「楽園は東口にあるらしいぞ。駅の構内を横断するらしい」「俺は国鉄の定期を持っていないのだが」「入場券を買え。楽園に行きたくはないのか」「すまん。俺が間違っていた」
 救世主は、先頭に立って歩いていく。自信に満ちた足取りだ。
 従容と、信者は従った。
 ほどなくして、救世主は券売機の前にたたずんだ。
「ここだよっ」
 救世主は、喜々とした口調で宣言した。
 信者は呆気にとられた。ここは駅の構内である。東口の改札口を出るのではなかったのか。ここは、立ち食い蕎麦屋の前である。当然のことながら、券売機ではそばやうどんを売っている。
 信者の信仰は、一瞬のうちに踏みにじられた。
「駅そばじゃねえかよっ」
「馬鹿にしてんのかっ」
 たちまち、罵声があがった。こういったときのために、罵声は存在を赦されているのだ。当然であろう。
「ゑ? この店、うまいんだけどなあ」
 元救世主は、彼の元信者がなぜ怒っているのか、まったくわかっていないようであった。
 悲惨なのは、入場券を買って駅そばを食うはめになった男で、彼は入場券と月見そばの券を見較べながら途方に暮れていた。
「そんだけの価値はあるよ。もう、うまいんだから、ここ」
 えへらえへらと笑いながら、元救世主は不運な男を慰めていた。
 悪びれることがない。元救世主にとって、そのとき本当にうまい蕎麦とは、この立ち食い蕎麦屋の山菜そばだったのだ。
 そうはいっても、披露宴の席でこの話を暴露された元救世主にとっては、思い出したくはない逸話であったかもしれない。

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