129 97.08.21 「流行歌の分水嶺」

「マイクを離さないんじゃない。マイクが手にくっついて離れないんだ」
 どこにでもこの手合いはいるもので、三次会あたりの街角で強引に周囲をカラオケボックスに引きずり込んだはいいが、歌い始めたら他人にマイクを渡さない。聴衆が欲しいだけだったのかとも思えるが、「いいや、こいつはひとりだけでもここに来て歌ってたね」といった意見があり、大勢は「もっともである」と深くうなずくのであった。
 熱唱男は、初っぱなから「天城越え」に魂を授けるという暴挙に出たのだが、しかし、この夜の熱唱男の末路は哀れなものであった。
 聴衆は、熱唱男が天城峠を越えようが越えまいが知ったこっちゃなく、てんでんばらばらに雑談をしていたのだが、次第にそのテーマが統一され白熱した論議に発展していったのだ。
 論議が盛り上がれば、当然のごとく熱唱男は邪魔者と化す。
「おい。ちょっとこいつ、うるせえな」
「ボリュームしぼろうぜ」
「マイクのプラグ、引き抜いちゃえよ」
「だいたい、カラオケボックスまで来て歌うんじゃないっ」
 あわれな熱唱男は部屋の片隅で肉声の絶唱を強いられることとなり、かくして論議はその白熱度を高めていくのであった。
 発端は歌本であった。最初はそれぞれ歌本を広げて思い思いに選曲をしていたのだが、ひとりが何気なく洩らした発言からカンカンでガクガクのケンケンでゴウゴウになってしまったのだ。
「昔の唄でも歌うか。んと、オレ、仮面舞踏会」
「ちょっと待て。少年隊のいったいどこが昔なのだ」
「昔だろうが。今はキンキ・キッズの時代よ」
「そうじゃないだろう、昔とはシブがき隊以前のことではないか」
 唐突に湧き起こった論議の内容に、私は慌てふためいた。ううむ、世間はそのようになっていたのか。私は開きかけた口を閉じた。
 更に論議を混乱させる発言も割り込んできた。
「そうかなあ。オレにとっての昔はたのきんトリオだなあ」
 みんな同世代である。それなのに、それぞれ「昔」が違うのだ。
「馬鹿者。たのきんは大昔だろうが」
「それはナツメロだ」
 ゑ。そ、そうだったのか。私は黙り込んだ。
 しかし、この状況における寡黙は目立つらしく、すかさず見解を求められてしまうのであった。
「おまえはどう思う?」
「ゑ、オレ? いや~」
「どのへんから向こうが昔だと思う?」
 私は小声でつぶやいた。「ん~、フォーリーブスかなあ」
 とたんに集中砲火だ。
「馬鹿か、こいつ」
「なに、ネゴトをほざいてやがるんだ」
「言うに事欠いて、フォーリーブスなどと」
 一方その頃、熱唱男は「みちのく一人旅」「越冬つばめ」といった孤独な曠野を彷徨していた。まるっきり無視されていたが。
 「昔」の定義が違いすぎる。定義したことはなかろうが、しようとしたらあまりに違いすぎてた。
 じゃあ、女性アイドルではどうか、という嫌な展開となった。私にそれを言わせるのか。
「中森明菜かな」
「俺は松田聖子だな」
「ピンクレディーだなあ」
 私も発言せねばならないのだろうか。私は、彼等の表情を窺った。ねばならないらしい。
「アグネス・チャン、かな」
 ああ、どうして私は小声になるのだろう。
 たちまち馬鹿にされたのはいうまでもないが、実際のところ、ピンクレディーもたのきんも私にとってはこっち側のひとである。昔のひとではない。つい最近の人々である。
 他方、熱唱男は「時の流れに身をまかせ」「酒よ」と、孤独な世界を追及しているのであった。誰も聞いてはいなかったが。
 論議の焦点は次第に「個人的な昔」を生じせしめる瞬間は何か、といった方面へ推移していった。その分水嶺は何か。それは、転回点であるかもしれないし、分岐点だったり屈曲点だったりするかもしれない。その瞬間はなんであったか。どこか印象的な時点から向こう側が「昔」なのではないか。どういうものか、論議はそういった方向へ流れていった。謎の展開だ。
 彼等は、就職、結婚、失恋といった、まあそんなものかな的な回答を述べた。私はといえば、特にそんな瞬間はないので返答に窮する。そんなの、ないよ。時代的には中学生から向こうがあっちで高校生以降がこっちということになるが、べつにそんな記念碑的なもんはないなあ。
「するってえとなにか、おまえは高校生の頃から成長してないのか?」
 そうなんだろうなあ。中学生の頃はコドモだったなあと思うけど、それ以降はそんなことないもんなあ。意識はほとんど同じままだなあ。連綿と続いてる。間断がない。転回も分岐も屈曲もない。ずっとそのまま。
「おまえは、馬鹿か」
 そうみたい。
 事態がここまでねじくれても、熱唱男はひたすら自己の世界に陶酔し、「奥飛騨慕情」を切々と謳い上げるのであった。
 こやつがいちばん幸せなのかも。

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