114 97.06.23 「福井の空はぐずついて」

「明日は、ぐずついた天気になりそうです。でも、傘はいらないようです。それでは」
 と、言ったのは福井の方の放送局の女子アナです。私が聞いたわけではありません。私は福井に行ったことはありません。行ったことがあるかも知れませんが、記憶にはありません。そんなふうに考えていると、行ったことがあるような錯覚に苛まれてきました。私はもしかして、福井に行ったことがあるのではないでしょうか。だんだん、そんな気がしてきました。私はきっと福井に行ったことがあるのです。私が福井を訪れた際の記憶が表層に浮かび上がるのを、なにかが押しとどめているのではないでしょうか。私は福井でたいへん酷い目に遭って、訪れたこと自体を記憶から抹殺してしまったに違いありません。サダカではありませんが、私は福井で大失恋をしたのではないでしょうか。
 くだんの発言は、福井在住の方からの御報告です。
 この表現はおかしいのではないか、と報告者は申し述べておられます。「傘がいらないとわかっているのだから、ちっともぐずついていないのではないか」というのが報告者の主張です。「この女子アナの言葉遣いは正しくないのではないか」と、疑義を呈しておられます。ついてはこの私の意見をききたいという、いきなりの飛躍です。なんのつもりでしょうか。福井には言葉の大家がいらっしゃるはずですが。
 そうは言っても、確かに私もくだんの発言は変な気がします。ぐずつく、というと、少なくとも一時期は降雨があると思えますが、そうではないのでしょうか。新解さんは、そのへんについては曖昧な見解を披瀝しています。「はっきり定まらない」としか言っていません。岩波国語辞典も同様の見解でした。
 するってえと、晴れたり曇ったりも、ぐずついた天気なのでしょうか。
 そんな解釈は許しません。許しませんとも。ぐずついた天気とは、降るかと思えば止み、止んだかと思えば降る、というような空模様に決まっています。決めました。私は意外に強情です。容易なことでは意見をひるがえしたりはしません。
 一方で、今にも降り出しそうでいながらなかなか降らないような空模様こそがぐずついた天気ではないか、といった解釈も現れました。そう言われてみるとそんな気がしてくるから不思議です。私は意外に強情ではありませんでしたが、結局のところどっちなんでしょうか。私にはわかりません。
 私見ですが、くだんの女子アナは傘を忘れて出社したのではないでしょうか。傘を忘れた粗忽者の輪を広げようという罪つくりな思いが、彼女の心底にあったのではないでしょうか。傘を忘れたのは自分だけじゃないという安心感を欲したがゆえの軽率な発言ではなかったでしょうか。今では彼女も反省していると思います。福井県民の皆さん、若さゆえの過ちです。彼女を許してあげようじゃありませんか。寛大な心こそが福井県人の県民性と巷間噂されるところではなかったでしょうか。違うかも知れません。
 報告者は私と同年齢の人妻なのですが、やはり尋ねる人物を誤ったとしかいいようがありません。それとも他になにか深い意味があったのでしょうか。もしかして、遠い昔に私を捨てたひとではないでしょうか。そう考えると、そんな気がしてくるに違いないので、いまはなにも考えず、静かにぐずついていることにしましょう。ぐずぐず。

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