101 97.05.13 「最下段のユーモア」

 新聞の第一面最下段には、癖のある書籍雑誌や怪しそうな通信教育の広告が並んでますね。そこだけ妙な雰囲気が漂ってる。一般紙では、そのすぐ上で立派なひとが立派そうに立派なことを述べているので、ますます断絶が目立ってる。もう、そこだけ別世界。きわめて限定された需要を求めてずらりと居並ぶ広告群が、不気味な存在感を漂わせて紙面の最下層でうごめいています。
 最近のお気に入りは、「ユーモア話術通信講座」ですね。馬鹿野郎なくらい、好きですね、この広告。たとえば10日付けの毎日新聞朝刊には載っているので、御覧下さい。あ~、その~、ゑ~と、どこが面白いのかと鼻白むこと請け合いです。いきなり拗ねますが、いいんだもんっ、オレは面白いんだっ。
 まず、この講座の存在自体があまりに異様です。歪んでます。いったい、話術の修得が通信教育で可能なものでしょうか。その立脚点がよくわかりません。しかしまあ、実際には藁をも把む思いで応募される方もいるのでしょう。「ついに役付になったのはいいけど、おれ口下手なんだよなあ。これからは人前で話す機会も増えるし、部下から仲人たのまれちゃうかもしんない。どうしよう、おろおろ。あ。この講座、受講してみようかな」おとうさんおとうさん、冷静になってください。本屋さんに行ってスピーチの本を買ったほうが安上がりですよ。
 この広告のメインコピーは、『「わっはっは」で行こう!』です。もう、脱力します。行けば~? と、つぶやきながら足早に立ち去りたい気分に陥らざるを得ません。見なかったことにしよう、と決意しながら、しかししげしげと凝視しちゃうのです。なんなのでしょう、この魔力は。
 なぜ、「わっはっはっ」ではないのでしょう。なぜ、「は」で止めるか。ぴたりと停止するか。そのへんがまず謎めいてあまりあるところです。どうも緻密な計算がありそうな気もしないではなくはないような、なんだかよくわかりませんが、いつのまにか誘蛾灯に引き寄せられる夏の虫と化してしまうわけです。ユーモア話術通信講座の深遠な世界には、圧倒されることしきりです。
 ボディコピーは6フレーズ。「人前で話すのが苦にならない!」求められていることを最初にもってくるあたりは常道を踏まえてます。「人にウケるスピーチができる!」具体的にはどうだと言ってるわけです。「性格が明るく積極的になる!」このへんから雲行きが怪しくなっていきます。「人間関係がスムーズになる!」「会議などで打ちとけた話ができる!」「初対面でもスグに話せる!」どうも、話術という技術を伝授するのではなくて、性格改造講座のようです。どうでもいいけど、「!」の連発って、効果ないんじゃないかな。まあ、「スムーズ」だもんなあ。誤植なのかな。
 とはいっても、こういう講座を受けているという事実が人に自信をつけるのだから、内容はどうでもいいんでしょう。たぶん教えることはひとつしかないなんでしょう。事実、ひとつしかありえないし。それに、本屋で千円の本を買うより五万円の受講料を払うほうが、効き目がある気もする。五万円を支払ったら効果なきゃね。ま、受講料がいくらだか私は知りませんが。
 それにつけてもユーモアです。死語じゃなかったんだなあ。まだユーモアが大手を振って歩いていたとは知りませんでした。ユーモアだけは口にしたくないよなあ。冗談はいっぱい言いたいけど、ユーモアはやだなあ。私、シゴト的局面においてついうっかり「気のきいた」表現を口の端にのぼせてしまい、内心で屈辱にまみれることがよくあります。無意味な冗談ばっかり言って暮らしたいけど、シゴト方面でそれをやるといろいろとめんどくさいことが増えちゃうしなあ。
 寡黙にならざるをえません。
 私は、この広告製作に携わった男の人生を思います。幼い頃は暗くなるまでボールを追いかけていたかもしれません。失恋を繰り返した十代を過ごしたかも知れません。当時の彼は、将来、「っ」を添えるかどうかで悩むなどとは思いもしなかったでしょう。「ここには「っ」を添えた方がいいと思うのですが。それに、「!」を多用しすぎかと」「いいんだいいんだ。このままでかまわん。カネを払っているのはこっちだ」。彼は社に戻って上司に報告します。「なに、クライアントがそう言ってる? じゃあ、そのままにしておけ。なあに、はした金しかもらってないんだ。適当につくっとけ」「はあ」「それより、木村の奴がヘマやらかした。むこうさん、カンカンだ。明日の朝いちばんでつっこむぞ。おまえも手伝え。今夜は残業だ」「はあ」。そして、数日後、新聞を手にした彼は自らが製作した不本意な広告を発見し、力なく首を振ることになるわけです。
 こうして人は寡黙になり、いつしかユーモアすらも口にできなくなってしまうのです。
 って、強引な結論だなあ。

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