102 97.05.14 「自殺点の他殺」

 自殺者が出ると「人間、死んだらおしまいだ」と、ヒハンを滲ませて声高に言うひとは不思議だなあ。自殺したひとは、なにもかもおしまいにしたいから自殺したのになあ。本人にとってはその選択しかなかったんだから、自由にさせてあげればいいのに。
 それにつけても、自殺点が消えてなくなっちゃたのは、つくづく惜しまれる。Jリーグの運営は、サッカー観戦にはまったく不向きの国立競技場を未だに使用することを始めとして失策ばかりなんだけど、最大の失敗は自殺点という呼称の廃止だよなあ。あれだけはこの列島のサッカー独自の美点だったのに。オウン・ゴールだって。おうん。私は、悲しい。
 先のワールドカップでコロンビアのエスコバルは自殺点をやらかしたばかりに他殺されたわけだけども、あれだって、オウン・ゴールだ。大陸の人々がジサツテンと言っていたわけじゃない。
 なんとか復活できないもんかなあ。呼び方を変えたってなんの解決にもならない、というありきたりの反論は持ってるけど、そんなこと言ってもしょうがないしなあ。
 スポーツ新聞から姿を消して久しい自殺点、今ごろどこでなにをしているのか。私は毎日その帰りを渋谷駅で待っておるというのに。
 記者諸氏は使いたかろう。これほど紙面に映える単語は珍しい。デスクの引き出しには、ボツのやむなきに至った魅力的なフレーズがいっぱい埋もれているに違いないのだ。いつの日か風向きが変わって出番が訪れる日を待っているのだ。ええ、そうに決まっていますとも。しかし、ひとたび使おうものなら、穏やかながらもあからさまな取材拒否にあってしまうから使えない。確信はないが、多分そうだ。
 その呼び名がいかんという見解はわからなくはない。まっとうな御意見です。
 が、サッカー関係者は当然のことながらサッカー界のことしか見ていないらしく、自殺点という言葉が言語に与えた照射を理解していないみたいで、そのへんが歯痒い。ただ「点」をつけただけで、「自殺」が再生したっていうのになあ。なぜその功績を自ら葬るか。もったいないなあ。
 もうすこし頑張れば普通名詞になれたのに。
 たとえば野球界からは「直球」「遊撃手」「続投」などが普通名詞に昇進していき、「自打球」「代打」などが次の出番を待っている。「自殺点」は、この列島のサッカーを普遍化させる象徴になれたはずなのになあ。
 国際的な競技だからといって、いきなりヨコモジにしなくても。ま、前々からしたかったんだろうけど。
 たとえば自殺点が駄目なら自爆点はどうか。これも不謹慎なのか。
 では、自虐点ではどうか。これでもまだ不謹慎と言うか。
 いや、やっぱり不謹慎か。別の意味で。てへへ。でも、いいと思うんだけどな、自虐点。どうかな? どうせ、自殺点は死んでしまったんだし。

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