100 97.05.11 「きゅきゅきゅのきゅ」

 好事家というか酔狂者というか、世の中には思いがけない嗜好を発露しながらその妥当性を全く顧みない人々がいて、たとえば「オバQ音頭保存会」に属する方々の日々はなかなかに苛烈だ。
 毎月9日に開催される月例会に参加すれば、オバQ音頭に取り憑かれた幾多の人生の歪んだ断面を垣間見ることができる。参加者は、過去のどこかで道を踏み外し、未だに深い霧の中をさまよいながら、なおも自らの誤謬に気づいていない。明るく元気に、オバQ音頭を歌い、踊る。その姿は歓喜に満ち溢れ、その歌声は朗らかに響き渡る。
 オバQ音頭とは、往年のテレビまんが「オバケのQ太郎」の後テーマ音楽であり、石川進がその全人生を傾けた絶唱が、ひとたび耳にした者の心を捉えて離さない名曲だ。およそ人たるもの、聞いたことがないでは済まされない。
 なお、極度に閉鎖されたこのムラ社会においては、アニメという単語は永遠に排斥され続ける。彼等にとって、「オバケのQ太郎」はあくまでテレビまんがから逸脱しない。彼等がオバQ音頭と恋に堕ちた日、アニメはまだ未来に眠っていたのだ。
 月例会は、オバQ音頭で幕を開ける。
 きゅきゅきゅのきゅ、きゅきゅきゅのきゅ、オバQ音頭で、きゅっきゅっきゅっ……
 全員が精魂こめて歌い踊ったあとは、各会員より活動報告がなされる。
 曰く、昨夏は町内会の盆踊り会場に潜入してテープをすり替えたが一番だけで終わってしまった、今夏はフルコーラスを全うすべく年初より鋭意策略中である。
 曰く、昨年は2000枚のリクエスト葉書を出したが、力量不足か一度も採用に至らなかった、本年は一念発起しこれまでに3000枚の葉書を書き、早くも2月に一度、3月に二度、ラジオより聖典が流れた、今後も奢ることなく努力を続けたい。
 曰く、本年は勧誘に重点を置いているが、これまでに8名の同志をこの場に導くことができた、今後もオバQ音頭の素晴らしさを広く世に知らしめるべく、精進を怠らないことを誓うものである。
 地道な努力と迸る情熱に支えられたたゆみない活動が逐一報告され、その度に会場は大きくどよめき、割れんばかりの拍手に満ちる。
 分科会では、活発な討議が行われている。「オバQ音頭禁止法」公布の事態に至りなば、我々はいかに生くべきか。ドロンパを足掛りに米大陸に進出することの是非はどうか。O次郎がオバQ音頭に果たした役割は過小評価されすぎているのではないか。政界に打って出てはどうか。
 白熱する討論は深更まで絶えることがない。
 月例会は、再びオバQ音頭で幕を閉じる。
 きゅきゅきゅのきゅ、きゅきゅきゅのきゅ、オバQ音頭で、きゅっきゅっきゅっ……
 最後は「ばけらった三唱」で、締める。
 ばけらった~、ばけらった~、ばけらった~。
 うお~。ぱちぱちぱちぱち。
 こうして繁栄をほしいままにするオバQ音頭保存会だが、その将来をおもんぱかるとき、やはり一抹の不安を内抱しているのであった。近年、会員の老齢化が進み、懇親会の席では病院の評判、民間医療の実際、霊園の価格情報といった、時の流れに蝕まれつつある自らの肉体を不安視する話題が尽きない。
 会員諸氏からも行く末を憂える声が目立っている。今後は、若き新規会員をいかに募り、この魂の音頭をいかに後世に伝承するかが課題となろう。
 私も、古参会員のひとりとして、言いたい。
 君も、オバQ音頭保存会に参加してみないか。

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