094 97.04.30 「ザリガニ談義」

 カワエビの唐揚げをつまみながら、といっても私は食っちゃいないが。私はエビやカニの類は食わないのだ。食え、といわれれば食うが、べつにうまいとは思わない。まあ、まずくはないけど。要するに興味がない。刺身のツマのほうがずっとうまいと思うね。あるいは、線キャベツのほうが。いや、私の好みはどうでもよかった。カワエビの唐揚げを肴にしながら飲酒しておったのであった。とある居酒屋での出来事である。
 私以外の顔ぶれは同じショクバのワカモノが三名。みんな、私と干支が同じである。つまり十二歳の年齢差がある。かといって、タメ口をきかれちゃう私である。私に威厳はまったくない。ええ、ありませんとも。こちらも、奢ったりなんかしない。酒は自分のカネで呑まなきゃうまくない、というのが私の見解だ。彼等はまた違う見解を抱いているかもしれないが、そんなこた知らん。だいたい私が誘ったわけじゃない。呑むんだけど来る? と訊かれて、へこへこついていったに過ぎない。
 話が合わないかというと、そうでもない。私の精神はあまり成長の痕跡がみられないからだ。むしろ、同世代の連中と呑む方が苦手だ。だって、シゴトの話するんだもん。
 この三人はシゴトのことなんか、なあんにも考えてないので、愉しく呑める。
 カワエビを食いながら話題がザリガニ談義へ移行していくという単純明解な展開が、居酒屋における人としての正しいあり方であるか否か。この疑問が、繰り返し論議されながらも未だ解決をみていない根源的な命題であることは重々承知しているが、ただいまのところはさっさとザリガニ方面へとんずらこきたい。
 彼等はニホンザリガニを知らなかった。いかんのではないか。ザリガニといえばアメリカザリガニしか見たことがないというのだ。いかんのではないか。ザ・リガニーズも知らないというのである。いかん、ってこたないな、これは。
 私も正式名は知らない。とりあえずニホンザリガニと表記しておくが、在来種のザリガニである。フジヤマザリガニかもしれないし、ニンテンドーザリガニかもしれない。とりあえず、わからん。あの小さな鋏を持った目立たない泥んこ色のザリガニである。アメリガザリガニの派手なパフォーマンスを苦々しげに眺め、小柄な身体をすくませながら、やがて訪れる破滅の時を静かに待っていたあのザリガニである。その控え目な態度が子供等の好感を呼んでいたニホンザリガニ達は絶滅してしまったのであろうか。我々は大切に扱っていたのであったが。
 アメリカザリガニに爆竹を縛りつけ木っ端微塵に吹き飛ばすことは日常的に行われていたが、ニホンザリガニにそのような悪鬼のごとき所業を為すことは暗黙的に禁じられていたものであった。
 申し訳ない。ショ~ネンがオトナに至るには、ザリガニ、カエル、バッタなどの尊い生命に対する殺戮行為が不可欠だったのだ、昔は。って、ずいぶん身勝手な自己正当化をしてるなオレ。ま、いいや。みんなもやっただろ、きっと。三人も爆竹作戦の遂行を経て今の自分がある、と言う。ヤな自分だな~、ぼくたち。
 ザリガニはなぜカニなのか、エビではないのか。この疑問もまた持ち出された。この問題に悩むことのなかったショ~ネンは少なかろう。いかにもエビである。エビ以外のなにものでもない。エビガニともいうし。カナヘビはどう見てもトカゲの仲間であるが、それと同じようなものなのか。四人で頭をひねったが、どうもよくわからない。
 昔はエビのことをカニと呼んだのではないか、という見解が提出された。伊勢海老などといっているが、あれは本当は伊勢蟹だったのだ、縁起物だから恵比寿様のえびを拝借したものであろう、などという突飛な意見である。残る三人が真に受けそうになったので、私は慌てて打ち消した。信じるなよ、そんなタワゴト。
 カニとは岐阜県に残る可児という地名からきているという説もある。調子に乗った私は、またまた無謀な論を開陳した。可児は「かに」と読む。岐阜県可児郡可児町が原産地なのではないか。またまた、信じそうになる三人。おいおい。
 その後もむちゃくちゃを言いまくり、私はすっかり法螺吹き男と化した。曰く、神から転じたものだ、その昔ザリガニは田の神だった。曰く、スペイン語では海老のことをカニという、在来種というのは間違いで安土桃山期に宣教師が持ち込んだものだ。うんぬんかんぬん。
 そのうちに、ザリはどうなるのか、という当然の展開となった。これはいかなる意味か。私はすこし真面目になり、自説を滔々と申し述べた。「いざる」が訛ったものではないか、昔はイザリガニだったのではないか、根拠はぜんぜんないがなんとなくそう思う。だが、もはやまったく信じてもらえない。オオカミが来たよな少年と化す私であった。
 ザリガニの話はなぜか異様に盛上がり、その後も釣り方におけるそれぞれの方法論がたたかわされたりするのであった。途中からは記憶も途切れ途切れなのだが、どうも実際に釣りに行くことになったらしい。五月五日の子供の日がよかろう、という。童心にかえろうというのが趣旨のようだ。集合場所の地図まで持たされてしまった。
 やだよオレ、行きたかねえよ。翌朝、奮然と抗議したところ、私は唖然とすることとなった。
 なんかね、どうも、私が、行こうって、言いだしたんだって。
 ほんとにもう、コドモなんだから。

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