061 96.08.24 「不思議の国の読書感想文」

 甥の勘太郎が、泣きついてきた。こやつは5年生になるというのに、泣き虫でいかん。夏休みの宿題を手伝ってくれ、という。なんだなんだ、私に算数のドリルをやれというのか。無理だぞ。私は1たす1が2であるという見解には懐疑的なのだ。
 そうではなかった。勘太郎は、読書感想文の書き方を教えてくれという。
「ふむふむ。書き方を教えればいいのか。実際に書くのは勘太郎なんだな」
「そうだよ」
 ならば、私にできないことはない。
「勘太郎は何を読んだんだ?」
「ふしぎの国のアリス」
「ははあ。そりゃまた、不条理なものを」
 子供向けに翻訳されたものであろう。あれは、童話のくせに大人が読んだ方が面白いからなあ。まあ、たいがいの童話はそうだが。
「ふじょ~り、って、なあに?」
「わけがわかんない、ってことだな」
 ごめんね、ルイス・キャロルさん。
「でも、ぼく、わかったよ」
 ほう。なにがわかったというのだろう。
「トランプがしゃべるんだよ」
 子供。
「お。そうか、そこに目をつけたか。えらいぞ、勘太郎」
 しめしめ。また、暇潰しができる。私は、ほくそ笑んだ。しかし、してやったりと思うとき、ひとはなぜ「しめしめ」というのだろう。もっとも、それをいうなら「してやったり」って、なんだろうなあ。ま、どうでもいいが。
 勘太郎は、誉められたと思って、無邪気に喜んでいる。
「で、勘太郎はさ、その本を読んで、面白いと思ったの?」
「うん」
「どんなふうに面白いと思った?」
「う。う~ん」
 意地の悪い問いかけをすると、たちまち勘太郎は口ごもった。了解した。だったら、もうちょっと真面目に考えてやろう。それでいいんだ、勘太郎。どんなふうに面白いかと問われてすかさず説明できる奴の言葉なんて、信用できないからな。
「勘太郎は、読書感想文を書きたいの?」
 勘太郎は、力いっぱい首を振った。「書きたくない」
「面白かったんだろ。その気持を他のひとに伝えたいとは思わないか?」
 裏側から訊いてみた。勘太郎は、考え込んだ。しばらく悩んでいた。私はほおっておいた。やがて、勘太郎は、おずおずと言った。
「思わない。面白かったのは、ぼくが、ただ、そう思っただけのことだから」
 よおし。私はとても嬉しくなった。
「うんうん。だったら、書かなくてもいいよ。感想文なんて」
「でも」
「文章なんて、自分が誰か他のひとに伝えたいことがあったときに、書けばいいんだ。自分で納得してるんなら、書くことはないよ」
「宿題やらないと、先生に怒られちゃうよお」
「そんな愚かな先生のことは、ほおっておけ」
「でも」
 ま、おちょくるのはやめにしよう。
「じゃあ、読書感想文っつうものを書いてみるか。勘太郎だったら、どんなふうに書く?」
「ちょっと書いてみたんだ。見て」
『ぼくは、ふしぎの国のアリスを読みました。おもしろかったです。どこがおもしろかったかというと、トランプがしゃべったところです。ぼくのトランプはしゃべってくれません。しゃべってくれたらいいなあと思うけど、しゃべってくれません。ざんねんです』
 どて。
「勘太郎は、これを自分で読んで面白いと思うか?」
「ぜんぜん」きっぱりと言う。「だから教えてもらいに来たんじゃないか」
 ふうむ。
「勘太郎は、その本を読んでトランプがしゃべったことがいちばん面白いと思ったんだろ?」
「そうだよ」
「だったら、真似すればいいじゃないか」
 勘太郎は小首をかしげた。?マークが頭上に飛び交っている。
「だからさ、不思議の国のアリスという本の立場になって書いてみれば」
 勘太郎は大首をかしげた。?マークの数が一挙に増加した。
 うひゃひゃひゃ。
「つまりだな、不思議の国のアリスという本がしゃべりだすんだよ」
「あっ」
 勘太郎の顔がぱっと輝いた。
「な」
「うん。書いてみる」
 勘太郎はいそいそとノートと鉛筆を取り出した。鉛筆を持ったまま凝固した。悩んでいる。やがて、言った。
「どうやって書けばいいのかわからないよ。書きたいのに」
 そうかそうか、書きたくなったか。
「じゃあ、書き出しだけは教えてやろう。今から言うから書き写せよ」
「うん」
「ぼくは、本です。不思議の国のアリスといいます。勘太郎くんが、今、ぼくを読み終わったところです」
 勘太郎は、喜んだ。書き始めた。
 私の方は、暇になったし腹も減ってきたので、スパゲティを茹でることにした。
「勘太郎、スパゲティ食うか?」
 返事がない。熱中している。
 ほおっておこう。つくれば、食うだろう。
 私はカルボナーラの作成にとりかかった。勘太郎は、長々と考えては少し書き、という作業を繰り返している。
「できたよっ」
 カルボナーラを皿に盛っていると、勘太郎が喜々として叫んだ。
「そうかそうか。こっちもできたぞ。食いながら読んでやろう。おまえも食え」
「早く読んで早く読んで」
「どれどれ」ずるるるるっ。
『ぼくは、本です。ふしぎの国のアリスといいます。かん太郎くんが、今、ぼくを読み終わったところです。』
「おまえ、自分の名前、漢字で書けないの?」ずるるるるっ。
「書けるよ。でもめんどくさいんだもん。いいから、早く読んでよ」
「わかったよ」ずるるるるっ。
『かん太郎くんは、ぼくのことをおもしろいと思ってくれたみたいです。ぼくはうれしかったです。ぼくの中には、ぼうし屋や三月うさぎが住んでいます。かん太郎くんは、しゃべるトランプを気にいってくれました。トランプがしゃべりだすのがおもしろいみたいです。かん太郎くんのトランプはむ口みたいです。かん太郎くんはかわいそうですね。ぼくのトランプたちはとてもおしゃべりです。へんなこと言って、アリスを困らせます。かん太郎くんのトランプはかん太郎くんを困らせないので、いいと思います。でも、かん太郎くんはしゃべるトランプがうらやましいみたいです。どこかに売っていないかなあ、と思っているみたいです。売ってないです。ぼくの中にしかありません。かん太郎くんが、またぼくを読んでくれるといいな、と、ぼくは思います。』
「ほほう」
「ね。どうだった? 面白い? 面白くなかった? ねえねえ」
 さて、なんと答えようかな。よく書けている、と思う。先生がどう評価するかは知らんが、小学5年生にしてはいい出来だと思う。
 勘太郎は、スパゲティを絡ませたフォークを宙に漂わせたまま、私の様子をうかがっている。食べるどころの心境ではないらしい。
 直すべきところはいくらでもあるが、まあ、細かいことはどうでもいいや。小論文の添削をやってるわけじゃないからな。
「面白かったよ。うまく書けてる」
「ほんと? ほんとにほんと?」
「ほんとだよ」ずるるるるっ。
「わあいっ」
 勘太郎は無邪気にはしゃいだ。
「まあ、食えよ。冷めるとうまくないぞ」ずるるるるっ。
「うんっ」
 勘太郎は、にこにこしながらカルボナーラにとりかかった。
 勘太郎が食べ終ると、私は訊いてみた。
「どうだった? うまかった?」
 勘太郎は、即座にしかも素気なく答えた。
「あんまり、うまくなかった」

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