010 95.11.29 「ニッポンの正しいおばちゃん」

 ハナウマ湾とは、こりゃまたどうにもふざけた名前だが、そう感じるのは日本語を理解できる人々だけであって、この湾は恐るべきことにハワイ諸島はオアフ島に実在する。ワイキキビーチから車で30分の距離にあって、ダイビングやスノーケリングを愉しめる名所となっている。実際には湾というよりもこぢんまりした入江であって、水深は浅く波も穏やかで、しかも色とりどりの美しい魚がたくさん泳いでいる。水中メガネをかけて潜ると、目の前をきらびやかな魚が行き交うという寸法だ。餌付けされているらしく、人間をまったく恐れない。浜辺の売店ではしたたかに餌を売っており、この$2也の餌を水中にばらまくと、どどどどばしゃばしゃと魚が集中して誠にもって大騒ぎとなるのだ。ちょっと撒いただけで100匹くらいが寄ってくる。うひゃうひゃ馬鹿笑いしながら餌を撒いて無邪気に喜ぶ私なのであった。
 しかし、寄ってくるのは魚だけではなかったのだ。ものすごいものも寄ってくるのであった。
 山田幸代52歳、埼玉県与野市在住、職業専業主婦、身長154cm体重69kgという者も、喜び勇んで寄ってくるのであった。いや、そのおばちゃんの氏素性は不明なのだが、とりあえず設定してみた。つまり、どこにでもいるおばちゃんだ。
 どこにでもいるので、当然ハワイにもいる。
 ハナウマ湾にだって、いる。
 山田幸代は餌を撒いているのが日本人男性(私のことだ)であるとの認識は得ているように見受けられた。しかしその後、山田幸代は彼(私だ、私のことだ)の人格についていっさい顧慮することはなかった。
「ほらほらほらほら、すごいわよ。ほらほら、みんなおいでよ。はやくはやく」
 とは、山田幸代の言である。そのように叫びつつ、砕氷船の勇猛さをたぎらせて、山田幸代は、寄せ来る波を掻き分けてくるのであった。派手な花柄の水着を身にまとった山田幸代は、怒涛の勢いで私のもとへと接近してくるのであった。ごく控え目に言って、山田幸代は成田を発つときに遠慮という荷物は置いてきたもののようであった。
「ほらほらほら、こんなに魚がいっぱいいるのよ。このひとが餌を撒いてんのよ。すごいすごい。なにしてんのよ、はやく来なさいよ」
 山田幸代は、同年輩の友人達を差し招くのであった。
 このひととは言って下さったものの、山田幸代は私を自動給餌機としてしか認識していないように思われた。
 山田幸代の友人達もすかさず集まってきた。遅参した彼女達も山田幸代と同類項と見て差し支えないようであった。
 私は期待に応えなければならなくなった。エサ係と化した。餌をやるたびに、おばちゃん達の歓声があがった。逃げ出せる雰囲気ではなかった。彼女達は、当然そこにいて餌をやるものとして、私を認識しているのだ。私は顔をひきつらせながら、ひたすら餌をばらまいた。魚達は喜んで群れ集い、山田幸代一派も大いに喜んだ。
 専念、忍耐、機械、といった単語が頭の中を5億6千万回ほど駈け巡り、ようやく餌が尽きた。
 私はほっとして、空になった餌の袋を逆さに打ち振った。
「ああら、餌がなくなっちゃったわよ」
 山田幸代は興醒めしたような口調で言うと、侮蔑するような目で私を見た。
「さあ、行きましょ。もう、餌がないんだって」
 山田幸代は、友人達を促して、風のように去っていった。
 おばちゃん達の次なる標的は、楽しげにふたりだけの世界に没入していた新婚カップルであった。もちろん日本人である。彼女達は日本人にしか近寄らない。はしゃぎながら餌を撒いて一生の思い出をつくっていたふたりには、同情に堪えない。すまん、俺の餌がもうちょっとあったなら。ふたりとも呆然としていた。勘弁してくれ、そいつらはスコールなんだ。しばらく我慢してればいなくなるからさ。
 山田幸代一派には、自ら餌を買い求めようという発想が欠落していた。まったく、なかった。
 私はひとりぽつんと取り残された。数匹の魚が名残惜しそうに私の周りを泳いでいた。
「ごめんな。もう、餌はないんだよ」
 私はつぶやいた。
 空を振り仰いでみた。太陽が眩しかった。
 空は晴れ渡り、大気は清らかで、海水は澄んでいた。風は優しく、波音が穏やかに響いていた。
 いいところだなあ、と思った。

←前の雑文へ目次へ次の雑文へ→
バックナンバー 一覧へ混覧へ