トゥールーズ瞬間滞在記《3》


6月13日(土) フリータイム


 本日は一日フリーである。川村一家の構成員は勝手にしていればよいわけで、川村氏の安息日となっている。
 当初はこの日にオプショナルツアーを申し込んでいたのだが、最小催行人数に達していなかったとかで、早々と中止を通告されていた。出発前からわかっていたことなのに、当日の朝になって「さて、どこさ行くべか」と思案しているのである。あまり賢い態度ではないが、ガイドブックの類をあたってみても特に行きたいと思わせる場所がなく、ずるずると当日の朝を迎えてしまった。中止になったオプショナルツアーにしても、どうせ他にやることもないし、といった消極的な姿勢で申し込んだものであり、今にして思えばなくなってよかったと感じられるほどである。
 かくして、フランスという国になんの興味もなかったし未だにないことを、つくづくと再確認するに至った。その歴史にも風土にも産業にも文化にも、なんら興味を覚えない。たまたまワールドカップを開催したもんだから私は来ざるを得なくなったのであり、私にとってはフランスに来たという思いは希薄で、ワールドカップをやっている場所に来たという事実だけが重要なのであった。
 フランスに興味がないのだから、トゥールーズに対しても事情は同様で、やはりなんの興味もそそらない。だいたい、シャルル・ド・ゴール空港に到着するまで、トゥールーズがどのあたりにあるのか知らなかった。

 しかしホテルに閉じこもっているのも味気ない。ガイドブックの片隅から「シテ・デ・エスパス」というものが浮上してきた。宇宙博物館である。ここなどがよいのではないか、とのコイちゃんの御意見だ。即座に行こう、といった運びとなった。具体的指針が与えられたのならなんであれすかさず飛びつくという、指示待ち世代の哀れさが漂う結末だ。あ、いや、すまん、嘘をついてしまった。そんなに若くはない二人ではあった。
 川村一家に同行している現地日本人ガイドの千秋氏に、どう行ったらよいのだとお伺いをたてると面食らった御様子である。そんなところへ行こうとする日本人は皆無であるらしい。
 なんだろう。古城より宇宙博物館のほうがずっと面白そうに感じるのだが、それは日本人観光客としての正しい道を踏み外しているのだろうか。よいではないか、我々はこれまで様々な道を踏み外してきたのだ。今更それを恐れるものではないぞ。大丈夫だ千秋氏よ、我々は道を踏み外しはするのだが、踏み外したあとはその道のすぐ傍にいるという特質を有しているのだ。一風変わっているだけで、百風も変わっているわけではない。我々なりの常識はわきまえている。どっかへ飛んで行っちゃうわけではないから、すまんが千秋氏よ、調べてはくれまいか。
 ガイドブックが語るところによると、航空産業と宇宙産業の中心地としての貌もまたトゥールーズ市が世界に誇るところであるらしい。サン・テグジュベリは、トゥールーズ-カサブランカ線の飛行士であったという。エアバス社の本社や国立宇宙研究センターがあり、そうした背景をもって宇宙博物館「シテ・デ・エスパス」が存在している。
 千秋氏の回答は、駅の観光案内所に行ってみてはどうかとの降伏宣言であった。開館しているかどうかもわからない、最新の情報をマタビオ駅の観光案内所で求めてみてはどうか、ということであった。
 むむむむ。であるか。我々はすぐ近くにあるマタビオ駅に向かった。大会開催中は、ここにボランティアのガイドが詰めているのだ。日本語を使えるガイドもいるはずである。が、誰もいなかった。午前十時からの営業であるらしい。あと一時間もある。
 さて、どうするか。コイちゃんと私は、しばし協議した。
 結局、開館していようがいまいが行っちゃおうぜ、ということになった。どうせ暇だし。よく知られているように、どうせ暇だし、と考えれば、あまり積極的でないことが苦にならないものである。
 我々は駅の売店で市内の地図を購入した。こう見えても、私には地図があればなんとかしちゃう性癖がある。縮尺に見合った精度での行動ならば、請け負う用意がある。路線バスのアタリをつけて、十時にはなんとかシテ・デ・エスパスに辿り着いてしまった。やればできるものである。この列島にいるときには「乗り方がわからない」との理由で、けして路線バスには乗らないくせに、他に手段がないとなればなんとかなるものである。
 シテ・デ・エスパスは、アリアンロケットの実物大の複製などを展示している博物館であり、たいへん面白かった。フランス語がわかればもっと楽しむことができたに違いないが、それでも充分楽しむことができた。日本人は我々の他に皆無であったが。
 帰途には違う路線のバスに乗った。もはや「トゥールーズ市の路線バスのことなら俺に訊いてくれ」といった居丈高な気分である。居丈高なので、市内で昼食を摂った後、地下鉄といったものにも挑戦してしまう我々であった。地下鉄もなんちゃなかった。簡単である。ま、簡単でなきゃ困るが。

 ミュニシパル・スタジアムへ、我々は向かったのである。明日の試合の下見といったところか。どうせ暇なので、あまり意味のないことでもするのである。ガロンヌ川の中州、ラミール島に、ミュニシパル・スタジアムはある。つまりそこへ至るには橋を渡らなければならない。無人の橋を我々はてくてくと歩いた。二十四時間後、この橋に人が溢れ、「関所」となるとは思いもしなかった。観戦チケットを持たない者は、翌日、この橋を渡れなかった。いわゆる「嘆きの橋」である。このときは誰もいない。誰も嘆いてはいない。自由に渡ることができる。翌日には剥奪された自由を行使して、我々は橋を渡った。翌日に、我々が行使したのは権利である。絶対に、自由ではなかった。
 スタジアムの入口に小規模な人だかりができていたので、なんだなんだどうしたんだ、と歩み寄っていったところ、少数のアルゼンチン・サポーターが気勢をあげていた。ニッポンの報道陣も何人かたむろしている。何かありそうな気がしたので、しばらく待っていると、なんとアルゼンチン・チームがバスに乗ってやって来た。練習であろう。翌日、たった一点で手加減してくれることになるバティの姿が、ちらりと見えた。空色と白のストライプに彩られたアルゼンチンの方々は、大騒ぎである。
 ニッポンの報道陣は苦笑するばかりで取材しようとはしない。このあとに訪れる予定のニッポン代表チーム取材の段取りに忙しくてそれどころではないのだろう。日本サッカー協会にも余裕はなかったし代表チームにも余裕がなかったが、取材陣にも余裕がなかった。サポーターや我々のような単なる観客にも余裕がなかった。なにもわからないのだ。わからないのだから、それぞれの立場で体験するしかない。それぞれが洗礼を受けて、その実感を糧に、いつか、例えば2010年あたりに決勝トーナメントに進出できることがあるかもしれない。そのとき、今回フィールドにいた例えば井原や山口が監督をしていたとしたなら、今回の敗退もそんなに悪いもんじゃないだろう。ばかでかい歴史を相手にしているのだ。経済の話じゃない。ましてやスポーツの話じゃない。もちろん、サッカーの話じゃない。文化の話が語られているのだ。そんなに性急に結果を求めたって、歴史は相手にしてくれない。なにかやってくれるとすれば、眠い目をこすりながらテレビの画面を見続けてくれた小学生だろう。彼等が、未来のどこかで正夢を見せてくれるよ。オレ、そのとき、たるんだほっぺたをつねってみるからさ。
 まあ、そんなに焦らないでいこうよ。目をつりあげてみたって、限界があるからさ。
 いつか、なにか、起こるよ。

 暇なわりには日本代表チームが練習に訪れるのを待っているほど暇ではないので、どんどん移動する。オキシタン村というものがさほど遠くはなかったので、とりあえず行ってみた。時間が余っていたのでとりあえず赴いてみただけだが、ここは掘り出しものであった。基本的には、フィルトル草原という名の公園である。ラミール島のすこし上流の右岸に張りついている。大会開催中はオキシタン村と称し、出店というかブースというかテントよりはまだマシかな的な簡易構造物において、関連各企業その他がお祭り状態を演出している。もちろんトゥールーズ市他の地元自治体も宣伝に余念がない。
 フランス・テレコムにつかまった。NTTのような存在であるらしい。テレカなどを販売していた。なにより素晴らしいのは、インターネットに直結した端末を何台か用意していることであった。インターネット・エクスプローラーを使うのは初めてで、しかもウィンドウズを使う機会も乏しい。しかも、フランス語バージョンである。ボタンがふたつもあるマウスを持て余しながら、なんとかとある掲示板にアクセスできた。とある、ったって、自分が設置したのだが。表示された内容は、当然1バイト文字に制限されており、誰が何を語っているのかわからない。仕方がないので、ローマ字で掲示板に書き込んで、ひとり悦に入る。
 その後、スーパービジョンがある広場に出くわした。翌日、観戦チケットを取得できなかった日本人によって満員になったあの広場だ。ここでは、全戦が生中継されている。なんらの実況音声が入らずひたすらにスタジアムの歓声を伝えるばかりで、ゲイムの展開がたいへんわかりやすい。ちょうどスペインvsナイジェリアの後半戦が始まるところで、我々は瞬時に終わった四十五分間、立ちっぱなしで見入ってしまった。スペインのラウル、ナイジェリアのオリセーが、およそ信じ難いシュートを決めたあの試合だ。
 素晴らしいものを観ることができた。少なくとも、翌日のアルゼンチン戦とは比ぶるべくもない。まあ、日本代表チームの試合は、あれはあれで観戦の意義が別個にあるわけだが。
 ナイジェリアが得た極上の結末を賛えながら歩いていると、またインターネット環境が、移動バスという形態をとって現れた。コイちゃん情報によれば、今度は「サイバーベース」というプロバイダらしい。ここはネットスケイプ・ナビゲイターだ。ありがたい。早速フランス語環境をものともせず、件の掲示板にアクセス。おお。返事があるではないか。しかも、こちらの状況を慮ってくれてローマ字表記だ。私は涙した。嬉しい。こんなところまで来て、ふだん交流しているひとと会話が成立するとは思わなかった。
 こんな遠い場所にいてさえ距離が突然に埋まる環境を、オレは持っているのだ、と、いきなり気づいた。私は歓喜した。ぶちょさん、ありがとう。あれは、とても嬉しかったよ。

 ホテルに戻り韓国vsメキシコ戦をテレビ観戦した後、晩飯を食べに外へ出る。そろそろ、青い人々たちが目立っている。ホテルの近所に「日本語のメニューあります」と、高らかに謳っているレストランがあり、我々は「それはありがたい」というので乱入した。
 ムッシュウ・バレストレルとでもしておけばよいであろうか。その初老のウェイターは頑なであった。カッスーレという郷土料理を注文したのだが、バレストル氏は、同時に我々が望んだ白ワインを受け付けないのであった。赤を飲め、といってきかない。カッスーレは、インゲン豆、ソーセージ、鴨肉などの煮物である。赤を推奨するのはわかる。しかし、我々はそこを曲げてあえて白を注文しているのである。セオリーに逆らっているのはわかっている。が、バレストル氏は断じてきかない。これには参った。赤に変更するまで引き下がらない覚悟を露にするのである。しょうがねえなあ。降伏して、バレストル氏御推奨の赤を飲むしかなかった。
 うまい赤ワインだったが、なんだかびっくりするなあ。あの頑なな態度はなんだろう。どうかしてるんじゃないかとも思う。そういうもんなのだと言われれば納得する振りはするが、釈然としない思いがわだかまる。まあ、そういうものなのであろう。頭で考えてはいけないことなのかもしれない。肉には赤、魚には白だ。考えちゃだめだ。そういうことになっているのだ。ムッシュウ・バレストレルに逆らっちゃいかん。

 ホテルに戻り、オランダvsベルギー戦を観て、眠る。いよいよ明日である。


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