93/01/23 「鏡の中の自分」
いまさら鏡をのぞいてみたところで、さしたる感興はない。どうしてわしはこうも表 情に乏しいのだろうか。いくらミミズであるとはいえ、やはりなにかしら物悲しい思い はぬぐえない。どうしてわしはミミズに産まれてしまったのだろう。 「かあちゃんだってミミズを産みたかったわけじゃないんだよ」 というのが、母親の口癖だった。 「だけど、産んじゃったもんは仕方ないじゃないか。ミミズだって、自分が腹を痛めて 産んだことにはかわりないんだよ。可愛いもんさ」 なんの慰めにもならない。 「おまえを産んだ当時はとうちゃんに責められたもんだよ。なんでミミズなんか産みや がったんだってねえ。おまけに一匹すくなくなって具合が悪くなったなんて愚痴をこぼ すもんだから、かあちゃんは辛くってねえ。まあ、今となりゃいい思い出だよ」 わしはちっともよくないぞ。 頭部に無数の傷痕がある。ブッチャーの額にそっくりだ。子供の頃に苛められた名残 である。釣りに行くと、おまえ餌をやれと言われ、釣針を刺されて川の中にほおりこま れるのだ。あれは辛かった。特に冬は悲惨だった。今こうして生きているのが不思議な くらいだ。幾度となく魚に食われそうになった。間近で見る鯉の口は巨大なほら穴のよ うだ。立ち上がれるものなら、いじめ撲滅に立ち上がりたいくらいだ。 頬が腫れているのも気に入らない。非常に醜い。ミミズに頬が存在するか否かは意見 の分かれるところだろうが、わしはとりあえずその腫れた部分を頬と認識している。数 多くの異性に殴られ続けた頬だ。ミミズが言い寄ると、人はたいてい拒否反応を示す。 ミミズが恋愛をしてはいかんのだろうか。おかげで、わしの頬にはミミズ腫れが絶えな い。 そんなわしを不憫に思ったのだろうか。ある日、父親が「おまえにフリーセックスの 味を教えてやろう」と言いだした。なんという親だろうかと思ったが、よくよく聞いて みるとミミズの養殖でひと儲けを企んでいるのがわかった。我が子を使ってベンチャー ビジネスに乗り出そうというのだった。 あれも辛い日々だった。と四六時中たくさんの他ミミズと密着状態にあり、あまつさ え性交をせねばならんのだ。わしの身体は次第に痩せ細り、すっかりミミズのようにな ってしまった。あまりの過酷な日々に堪えかねて家出同然に出奔し、それ以来家族とは 音信不通である。風の便りによれば、父親は多額の借金を抱え込んだようだ。 こうして思い返すとなかなか波乱に満ちたじんせいではある。鏡の中のわしの顔にも それなりに年月の重みというものがうかがえる。ところが、世間はそうは見てくれない のである。わしは己の顔を認識できるのだが、他人から見るとどうもそうではないらし いのだ。ミミズはみんな同じ顔だと考えている人々がまだまだ世間には多い。ミミズは 肩身が狭い。あ、肩はないか。ミミズは立場がない。あ、立ってもいないな。ともかく 情けないのである。 しかしなにが情けないといって、性転換してしまうほど情けないことはないの。ミミ ズってほら、雌雄同体でしょ。時々自分の思惑に関係なく、女になっちゃうの。女にな って鏡を見ると、自殺したくなっちゃうあたしなの。もう嫌、こんなじんせい。