93/01/05 「怪奇風邪男、その誕生と死」
新アナクールというのがそのいかにも怪しげな総合感冒薬の名称であり、これだけで もその効能に対して疑惑を覚えるが、あまつさえセアプローゼS配合と謳っているあた りにはもはや不信感を抱かざるをえない。セアプローゼSというのはいったい何者であ ろうか。いずれ名のある武将であろうが、この怪奇風邪男にとっては、スペインはアン ダルシアの片田舎で雑貨商を営むアドリアン・サンチェスの飼猫の名前ほどの意味も持 たない。ちなみにこのアドリアン某は今とっさにでっちあげた架空の人物であり、深読 みされても困る。思えば、セアプローゼSも災難ではある。薬事業界では泣く子も黙る 大立者なのかもしれないが、一般市民の間ではまったく無名の存在であり、それゆえに いわれのない不信感を抱かれてしまったのだ。しかしセアプローゼS本人にも反省すべ き点は多々あり、今後の精進を期待したい。 怪奇風邪男が新アナクール購入の暴挙に及んだのは、今を去ること約一週間前の平成 四年の年の瀬であった。横浜中華街というのはそれでなくても怪しげな場所であるが、 そこで営業される薬店に至ってはもはや魔窟と称しても過言ではないといえよう。その 日、中華街の一画で催された宴会に参加した私は、肉体が次第に流行性感冒に蝕まれて いく感触を覚えていた。宴会が終了し店を出る頃には、流行性感冒はすっかり我が肉体 への侵略を完了しており、その瞬間から私は怪奇風邪男へと変身を遂げ、石もて追わる るごとく朽ち果てる運命を余儀なくされることとなってしまったのだった。余命いくば くもない怪奇風邪男は暗澹たる思いで夕闇の中華街を彷徨していたのだが、そのうちに きらびやかな街並のなかに浮かぶ薬という文字を発見した。福音が訪れた。怪奇風邪男 は藁にもすがる思いというものを生まれて初めて体験したのだった。 命からがらその薬店に辿り着いた怪奇風邪男は、なんでもいいから風邪薬をくれと所 望した。商品構成において漢方薬の比率が異常に高いその薬店にはなにかしら異様な雰 囲気がたちこめ、魔窟の印象をいやがうえにも高めていた。だが怪奇風邪男の関心事は もはや自らの容体であり、他の事象は一切気にならなかった。店員が推薦したのは、新 アナクールという名のカプセル剤であった。聞いたことがなかった。だが、怪奇風邪男 はその店員を信じることにした。儚い我が命運をその店員の慧眼に托することにした。 たとえテレビその他のメディアで広告展開がなくとも感冒薬は感冒薬であり、新アナク ールを推挙するに至ったその店員の人生の重さを考え合わせたとき、信じる者は救われ るといった古典的教訓が怪奇風邪男の心中に芽生えたのは自然のなりゆきであった。 実際に新アナクールの効果は覿面であり、怪奇風邪男は病状が快方に向かうのを感じ た。二次会と呼ばれる人生の荒波に立ち向かう気力も甦ってきた。セアプローゼSの底 力であったかもしれない。相変わらず得体の知れないセアプローゼSではあるが、余人 の思い及ばぬ実力の持主なのであろうか。薬学の進歩には舌を巻く思いの怪奇風邪男で あった。人類の叡知には感嘆せざるをえない。 新アナクールは三十カプセルを内抱しており、これを一日に三回二カプセルずつ服用 するのが虎の穴の掟だ。怪奇風邪男を蝕んだ流行性感冒は意外にしぶとく彼に巣食って おり、ほぼ健康体に戻ったものの相変わらず完治はしていない。頼みの新アナクールは もはや底を尽きかけている。ここで服用を中止するといったいどうなるのであろうか。 一生怪奇風邪男として暮らしていかなければならないのであろうか。生涯一怪奇風邪男 というのもいいかもしれない。心技体三拍子揃った怪奇風邪男としての人生を究めるの も悪くはない気がする。いずれにせよ、新アナクールは近々なくなってしまう。 セアプローゼS禁断症状が出るかどうか、怪奇風邪男の今後の動向が注目される。