91/08/15 「香を焚く……それが私の夏だから」
モンバーバラに大劇場があるように、私の夏には蚊取り線香がある。 近頃はエレキの力を借りてマットやらリキッドやらで蚊を退治するのだろうが、染み ついた習慣というものはそう簡単には捨てられない。蚊取り線香をまったく使わない家 庭で育った人間は増加の一途を辿っているに違いない。蠅取り紙みたいにクイズ番組に 登場する日もさほど遠くはないだろう。私が隠居する頃には生産中止となっているかも しれない。いや、多分なっているだろう。そうしたら、何を頼りに夏を過ごしていけば いいのだろうか。私は目下のところ、老後の不安というものをこの一点でしか実感でき ない。未来のある夏の朝、新聞は数行の記事を報じるのだ。蚊取り線香のない夏なんて と、不可解な遺書を残して老人が自殺、云々。 蚊取り線香は金鳥に限る。もっとも最近では渦巻型のあの懐かしさすら感じさせる深 緑色の蚊取り線香は、金鳥しか販売していないようだ。アースなんかは市場から撤退し たのだろうか。見当たらない。まあ金鳥しか使うつもりはないので、そんなことはどう でもいいが。まず、香りが違う。明らかに違う。金鳥のそれには、品がある。けして格 調高いというのではないが、抑制された穏やかさがある。己の節度をわきまえ、なおか つ自らの個性を見失わない芯の強さも併せ持っている。こんなところに引き合いに出さ れて心外だろうと思うが、ことぶきさんの文章に似ている。柔軟でありながら視点が揺 るがないことぶきさんの文章に、私は魅かれているのだ。金鳥の蚊取り線香が奏でるあ のかぐわしき香りにも、そんな靭さがある。蚊取り線香は金鳥だ。日本の夏だ。金鳥の 夏だ。そう決まっている。 蒸し暑い夏の夜、私は一巻の蚊取り線香に火をつける。優雅に漂いはじめた煙はやが て拡散し、部屋をかぐわしき香りで充たす。部屋に蚊がいようがいまいが、そんなこと は重要ではない。その香りのなかに我が身を置きたいがために、私は毎晩、香を焚く。 殊に、灯りを消して布団に横になってから眠りに落ちるまでの間、暗闇のなかで嗅ぐそ の香りは格別だ。外から涼やかな虫の音が聞こえてきたなら、完璧だ。 どうもブロンの一気飲みをする高校生と変わらないことをしているようだな、私は。 もちろん、本来の目的のために蚊取り線香を使うこともある。不本意ではあるが、か ゆいのには勝てない。明け方にあまりのかゆさに目が覚めることがある。蚊取り線香が 燃え尽きて蚊の野郎が侵入してきたのだ。ちょうどそこに馬鹿面こいて大いびきをかい ている男がいたので、しめしめとばかりに二、三発血を抜かせていただいた、満腹だぜ けけけ、というような顛末だ。私は滅多に怒らないが、このときばかりはかっとして我 を忘れる。怒りの短期集中20発攻撃だ。一巻の蚊取り線香を10本に分割し、そのすべて に両側から火をつけるのだ。もくもくと煙が湧きあがる。しばらくすると、部屋には濃 霧注意報が発令される。いささか偏執的ともいえるこの力技に勝てる蚊はいない。私は 安心して再び夢の中に舞い戻るという寸法だ。 蚊を殺すためだけの道具が一市場を形成しているという状況は、我々の生活において 蚊がいかに迷惑な存在であるかを充分に物語っている。もし、人にかゆみを感じさせな ければ、肌に痕を残さなければ、病気を媒介させなければ、奴等もそれほどまでに嫌わ れることはなかった。人に優しい刺し方、というコンセプトが是非とも欲しかった。残 念である。今後は人と蚊が共存できる明るい社会を目指して頑張って進化してもらいた い。かゆくなるのはてめえらの身体の勝手な反応だろ、などと言ってはいけない。我々 も頑張るから、君達も頑張れ。そして遠い未来に蚊取り線香などという武器産業のない 世界を実現してくれ。私は武器を抱えて死んでいくから。