91/08/07 「カイフの暴論」

 カイフトシキは言うのである。「火砕流という奴はなかなか侮れない」
 時の総理ではない。私の友人である善良なる一市民のカイフである。普段ぼけっとし
てるが突如として変なことを言いだすという得意技を持っている。
「それは6月3日の件で証明済だ。たくさんの死者が出た」と、カイフは言うのだ。
「うんうん、それで」私は先を促した。またいつもの癖が出た。最後まで聞いてやらな
いと、こやつの機嫌は加速度的に悪化していく。
「もちろん俺は冥福を祈るなどという傲慢な言い草ができる立場にはない。所詮はひと
ごとだからな。さぞかし悔しかったことだろうとただ思うだけだ」
「まあな。たしかに関係ないわな」
「俺はこの二ケ月ほど、ずっと考えていたんだが、このほど考えがまとまった」
「考えって、なんだ」
「聞いてくれるか」
「ああ、聞くよ」聞かないと怒るくせしやがって。
「うむ。結論から言うとだな、火砕流というマヌケなネイミングが死者を増やしたので
はないか、というものだ」
「よくわからん」
「だから、これからそれを説明しようとしてるんじゃないか。黙って聞け」
「へい」
「では、6月3日午後4時以前の状況から話を始めよう」カイフは咳払いした。「まず
地質学者とか火山学者などといった専門家達が火砕流の危険性について警告を発してい
た、という状況があった。彼等は、マスメディアを通じて火砕流とはいったいどんなも
のであるかを説明した」
「あの火砕流が起きる前にか」
「そうだ。専門家は火砕流がどんなものかを知っていて、だからこそ警告していた」
「そうだったっけ」
「そうなんだ実は。で、6月3日午後4時、あの火砕流が発生した。ここに至って初め
て、人々は火砕流とはいったいどんなものであるかを理解したってわけだ」
「人々って誰だ」私は訊いた。カイフの話はどうも大上段だ。
「俺やおまえや島原市長や警察やマスコミや、とにかく専門家と死んでいった人達以外
のすべての人だ」
「赤ちゃんとか、外人は」
「くだらない茶々を入れるな。とにかくだな、実際に起こってみなければ、誰もその威
力は実感できなかったわけだ」
「専門家は除いて、ね」
「そうそう。専門家達は理解していた。そのとてつもない速度を、その激しすぎる熱さ
を把握していた。その真の恐ろしさの実体が実は気体であることを、そしてそれが地を
這うように駈け降りてくることを認識していた」
「カイフ、おまえやけに力が入ってるなあ」
「うむ。喉が乾いてしまった。水をくれ」
 私は水をくみに行った。なんでこんなことまでしなきゃならないんだろう。カイフは
一息に飲みほした。もっと有難がれよばかやろ。
「それでだ」カイフは口をぬぐって、言った。「専門家達の警告は死んでいった人々に
も届いていた、と俺は思うんだ。火砕流とはいったいどんなもんであるかという説明も
聞いていた、と思う」
「だったら、死んだ人達があの火砕流が起きたとき現場にいたのはなぜだ」
「それが起こったらすぐに逃げよう、と考えていたんだ」
「え。なんでだよ」意表をつくことを言う奴だ。彼等は専門家達の説明を聞いていたん
だろ。おまえの推測するところによれば」
「そうだ」
「じゃあ。彼等は火砕流を甘く見ていたわけか」
「いやいや。そうじゃない。彼等は火砕流のなんたるかを正しく理解できていなかった
んだ。他の大多数の人々と同様に」
「するってえとなにか、カイフおまえは専門家達の説明の仕方が悪かったと、そう言い
たいのか」
「まさか。そんな大それたことは考えてもいないよ。ただ」
「ただ、なんだ」
「奴等のネイミングのセンスは最悪だ」吐き棄てるような口調であった。
「言い切るねえ」
「もっとわかりやすい名前をつけてれば、あんなに人は死ななかったんだ」
「わかりやすい、ってのはどういうことだ」
「名前を聞いただけでその実体がすぐに想像できるような、ってことだ」
「火砕流。そんなに酷いネイミングだとは思わんけどなあ」
「土石流って存在がなければな」
「ああなるほど」そうか。それがあったか。「土石流のイメージが強烈すぎた、と」
「そうだ。土石流ってのは、かの地ではあまりに馴染み深い災害であるわけだ。土石流
は発生してからでも逃げられたし、その通路はほぼ決まっていた」
「水無川ね」
「死んでいった人達は、土石流と対比させて火砕流を理解していたんだろうと思う」
「たしかに発生前には俺もそんな風に理解していたような気がするなあ。熱い岩石が山
の上から転がり落ちてくる、というような」
「そうだろう」カイフはうなずいた。「俺も同じだった。それに間違いじゃないんだ、
その解釈は。実際には岩石よりも先に熱風が高速で駈け降りてくるわけだが」
「でも、俺達も含めてだけど、どうして専門家達の説明を聞いていたのに、ちゃんと理
解できなかったんだろう」
「最初に火砕流なんて言葉を出すからだ」と、カイフは断ずるのであった。「聞いてい
る人はそこで土石流とどこが違うんだろう、と考えてしまう。専門家達の声は聞こえる
が内容は届かない、ということになる。未知のものを理解しようとするとき、人間てや
つはそれに近いものを知っていたらそのイメージに引きずられてしまうもんだ。最初か
ら全く異質な言葉が飛び出してきたなら、謙虚に専門家達の声に耳を傾けたろうと思う
んだ」
「全く異質な言葉ねえ」
「ま、漢字三文字でなければ、最後に流という文字がつかなければ、とは思うね」
「でも、もとは外国の言葉で、直訳しただけなんじゃないの」
「そんなことは関係ないんだ」カイフはいきりたった。「直訳だったら、そのあたりの
ことを考えないでそのまま漢字を当てはめるのが間抜けだし、日本の造語だとしても、
同じ理由で間抜けだ。俺は、人間の思考パターンを無視してこういう人の命に関わる重
大な災害に安易なネイミングをした馬鹿者共の態度が許せんのだ。怠慢だ、と言ってる
んだ。だいたい、火山学者や地質学者に限らず、科学者ってのはみんなそうだ。他人が
自分の言ってることを理解できないのはそいつの勉強不足だと思ってやがる。他人に理
解させうるコトバを持たない自分に問題があるんだとは考えようともしない。それは違
うんじゃないか、と俺は思う。難かしい現象だの理論だのを、わかりやすく説明するの
もてめえの仕事じゃないのか。この場合の仕事ってのはもちろん、給料をもらうための
ってことじゃないぞ。もっと根源的なことだ。なあにが、超ひも理論だ。なあにが、超
電導だ。自分達だけがわかっていればそれでいいのか。え。どうなんだ」
「おまえさあ」私は言った。「脱線してるぞ」
「ん」カイフは顔を赤らめた。「ああ。そうだな。すまん。興奮してしまった。まあつ
まり、奴等のネイミングの安易さが今回の惨事につながった、と俺はこのように考えて
いるわけだよ」
「じゃあ、火砕流じゃなくて、どういうネイミングだったらよかったと思うんだ」
「わからん」
「きっぱり言うなあ」
「こういうのは専門家がいるんだから、そういう人達に任せればいいんだ」
「専門家って」
「コピーライター他の広告関係者だ」
「じゃあなにか、科学者はコピーライターに仕事を依頼せよと、そういうわけか」
「それが分業というものだ」断固たる口調である。
「分業ねえ」
「実はひとつ思いついたんだが、どうも気にいらんのだ」
「言ってみろ」
「火砕流の特徴は四つある。高速。高熱。恐ろしいのは岩石や火山灰ではなく気体であ
ること。そしてそれが地を這うように駈け降りてくること」
「それで」
「この四要素をただつなげたんだが、高速熱気なだれ、というんだ」
「くだらんな」私はにべもなく言った。
「や、やっぱりそうか」気落ちしたようであった。「俺も気に入らんのだ」
「あまりに白痴だと思う」
「じゃ、もうひとつ」
「まだあるのか」しつこい奴だ。
「火竜の舌」
 カイフトシキは文系である。

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