91/07/26 「扇風機と話す……それが私の夏だから」
エンドールにカジノがあるように、私の夏には扇風機がある。 クーラーは好きになれない。せっかく暑いのに、何が悲しゅうて涼しくせにゃならん のだ。暑さがもったいないではないか。こんなに暑いのにわざわざクーラー使う奴の気 がしれねえぜ、けっ、などと喚きながら私は熱帯夜を満喫しているのである。大馬鹿者 であろう。 暑いのは、いい。頭のなかが白くなって、なんにも考えられなくなる。能動的な姿勢 というものがいっさい消え去る。暑いねえと言われれば、暑いねえと答える。ビールの もうかと問われれば、ビールのもうと答える。受け身の人生観に貫かれた怠惰な生活と いうものが、ここに出現するのだ。 だがクーラーつけようか、などと口走る不逞の輩が現われたなら話は別だ。断固たる 姿勢でこやつを排除せねばならない。こんなにいい気持なのにどうしてそういう余計な ことを言うのだ、と決然と言い放たねばならない。そうだ、暑いのはいい気持なのだ。 それがすべてだ。私は夏は暑いのが当り前なんだからクーラーなんかに頼るな、と言っ ているのではない。こんなに暑くてこんなにいい気持になってるんだから、その邪魔を するな、と主張しているのだ。 などと言いつつ私は扇風機を使っている。扇風機は冷房機具ではない、というのが私 の半生の結論である。従って私のなかに矛盾は生じない。クーラーは役に立つが扇風機 は役に立たない、という見解のもとに私は扇風機をこよなく愛しているのである。 株式会社日立製作所にて製作されたこのH-31TUは、最高風速200m/sec、風量47m3/sec を誇り、風速は強風・弱風・微風の3段の切りかえが可能というスグレモノだ。首振り 角度に至っては4段階に切りかえられ、3時間のタイマー機能が標準装備されており、 更にコードの長さは1.9mと、非のうちどころのない扇風機である。ともに一夏を過ごす に足る可愛い奴だ。 安さ日本一のコジマ電機から我が家にやって来た当初は慣れない田舎暮しにとまどう ことも多かったようだが、今ではこちらの水にもすっかり慣れて夏が来る度に私の身体 に生ぬるい風を浴びせかけては悦に入っている。 いったいいつまでおまえと一緒にいられるのだろう。私は親愛の情をこめて「あー」 と語りかけてみる。するとH-31TUは「あ~」と震える声で応えるのだ。健気な奴だ。あ まりの愛しさに私の頬を涙がつたう。その涙を柔らかな風が乾かしてゆく。 今夜も熱帯夜だ。