1月2日 嬉しくて悔しい夜
目覚めたときには、とうに陽は暮れていた。
私は、独りで出掛けた。前々からの約束がある。
そのホテルのバーは、ロビーの賑やかさとは裏腹に、ひどく閑散としていた。
泊まっているのは家族連ればかりですからね。クラリッジをシェイクしながらユキオが言う。正月は毎年、暇なんですよ。
そんなものかもしれない。私はホテルバーを徹底的に避けながらこの稼業を過ごしてきたので、内情はわからない。
ユキオのクラリッジは、申し分がなかった。
癖は直ったようだな。私がからかうと、ユキオは照れた。
キタさんに惨々怒られましたからね。
私が湯田さんに鍛えられたように、私にも多少の手ほどきをした教え子がいる。ユキオは、ジンベースのカクテルに限ってジンの分量を少なめにしてしまう妙な癖があった。いくら注意しても直らず、ついに私が大声で叱ったときのカクテルがクラリッジだった。
遠い昔の話で、このホテルのバーを一手に切り盛りしている現在のユキオに教えるようなことは、もはやなにもない。信頼して、ただ飲んでいられる。
もっとも、私にも多少の悪戯心はある。クラリッジを飲み干した後は、プリンストンをオーダーした。
またジンベースですか。ユキオがぼやく。
そう、今夜はジンベースしか飲まないんだ。私は、澄まして答える。
じゃあ、俺のギムレット、飲んでくれますか。ユキオは、答がわかっている質問をしてきた。
私は、肩をすくめてみせた。
ギムレットだけは人様がつくったものは飲みたくない。私以上に、私好みのギムレットをつくることができる人物は存在しない。信念というほどではないが、私にも縋りたい幻想はある。
プリンストンの次は、ホワイトレディだ。私はそう答えた。
いつもそうなんだから。ユキオは口を尖らせた。
プリンストンを飲み、ホワイトレディを飲んだ。どちらもおいしい。安心して飲んでいられる。次に、私はギブソンを所望した。
ユキオ、これがおまえのギブソンか。出されたカクテルグラスを見て、私は呆れて言った。
ギブソンですよ。ユキオは澄まし顔だ。
やれやれ。なにがギブソンだ。ギムレット以外の何物でもないではないか。そこまで私にギムレットを飲ませたいのか。
私は降参した。わかったよ、飲むよ、飲めばいいんだろ。
私は、ユキオのギムレットを味わった。
ひとつ聞きたいんだが。飲み干して、私は尋ねた。他の客にもこういうギムレットを出しているんじゃないだろうな。
まさか。ユキオは破顔した。これはキタさん用ですよ。
ばかやろ、と、私は言った。
参った。僅かな差だが、私のギムレットより、うまい。
喜ばしく、非常に悔しい。
私は、そのレシピを教えてくれるよう、ユキオに懇願した。
嬉しい屈辱にまみれながら。
ユキオは満面に笑みを湛えながら、舌で盗んでくださいよ、と、言った。