1月1日 長電話の夜
生活のリズムが乱れつつある。いつもなら熟睡している時間に覚醒している。
先ほど、太陽の眩しさを満喫できた。窓際に小さなテーブルを持ちだし、麗子と差し向いでぐい呑みを傾けた。麗子も私と同様に夜の仕事をしている。二人とも、太陽が物珍しい。
冬の陽射しに目を細めながら、麗子が昨夜の長電話について尋ねる。
元旦の夜に唐突にかかってきた電話は、大先輩の湯田さんからだった。ずいぶん久し振りに声を聞く。懐かしく、二時間ほど話した。
私は、駆け出しの頃の話をぽつりぽつりと聞かせた。最近、麗子は私のそういう話を聞きたがる。
特にバーテンダーになるつもりもなくただのアルバイト気分だった私に、この仕事の面白さを教えてくれたのが湯田さんだった。大切なことはすべて湯田さんの教えを受けた。厳しさというものを全く持ち合わせていない先生で、バーテンダー稼業の愉しさ、面白さ、悦びといった事柄ばかりを伝えようとする。誉めてばかりで、叱らない。
湯田さんの手ほどきを受けたバーテンダーは多い。中でも私は不肖の弟子で、ともすればレシピを逸脱して新味を追及しようとする私に、湯田さんはいつも寛容だった。そういうバーテンダーがいてもいい、という。一方で、レシピに忠実で常に同じ味を維持しようと努力する者を絶賛する。
いろいろなバーテンダーがいなくてはいけない。カクテルは、人がつくる。人によって違うカクテルができる。バーには個性がなくてはいけない。
湯田さんは、よく弟子どもと飲み明かしながら、にこにことそんな話をしてくれた。ありきたりの他愛ない教えで、為になるというものではない。
が、今でも時々救われる。
湯田さんはいまだ現役で、現在は盛岡のホテルのバーにいる、という。俺が現役のうちに一度くらい来い、という。
行きます、必ず。私は約束して、電話を切った。
どうもそのあたりを、麗子は聞きたかったらしい。その折には同行したいという希望を、非常に遠回しに言い募る。
私としては、いっこうに構わない。既に外堀を埋められている。いくら抵抗したところで、落城するのは既定路線だ。
暖かくなったら盛岡へ行こう、ということになった。
内堀も埋め立てられた。