11月24日 酩酊した夜


 店は休み。
 夕方頃から馴染みのグラス専門店を徘徊。特にめぼしい入荷品はない。
 喜多村さん、こういうの好きでしょう。
 店主が奥の戸棚から木箱を取り出してきた。蓋を開くと、オールドファッションドグラス。カナダから輸入したという。
 手にしてみる。
 くらっとする。しなやかな肌触りで、掌に吸いついてくるようだ。

 買う。
 つい、宣言してしまう。
 こういうバランスを求めていたのだ。店主は私に傷物を勧めるはずがないので、品質の吟味はしない。感覚だけで決断できるのがありがたい。

 底が厚い。透明度が高く、見た目にはその重量感がわからない。円形の底面の端に、小さく、サトウカエデの葉の形をあしらったRの文字の彫り込みがある。意匠といえば、それだけだ。投影すればただの円筒に過ぎない。

 値段を聞いて、またもや眩暈に襲われる。また税理士に小言を言われそうだ。備品としては高価であり保険をかけるには安価であるというのが、私が購入するグラス類に対する彼の見解だ。私の嗜好と彼の職業倫理は、永遠に妥協点を見出さない。
 仕方がない。このグラスは私の店のカウンターに置かれなければならない。幸福にはたいがい出費が伴う。

 待ち合わせた喫茶店で、私の傘下に参入したばかりのオールドファッションドグラスに相応しいカクテルは何か考える。
 ソルティドッグの俗っぽさをこのグラスは解消するかもしれない。ブラディメアリは意外に似合うかもしれない。なにもトールグラスばかりに任せなくてもいいだろう。セロリの切り方が問題だが。とすると、ブルショトもいけるはずだ。未だかつてオーダーされたことはないが。ブラックルシアンあたりも欠かせない候補だ。
 頭の中でカクテルを何度もつくる。

 ふと気づくと、向かいの椅子に広恵が座っていてコーヒーを啜っていた。うろたえる。
 いつのまに来ていたのか。ちっとも気づかなかった。
 妄想の時間は終わったか、と訊かれる。
 こちらの性癖を知り尽くしている。私は、終わっていないが後回しにすると答えた。

 居酒屋に赴く。月に一度の楽しいデイトだ。養育費を渡し、近況を報告し合う。
 気持ちよく酩酊した。


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