244 00.02.22 「我が国の外交問題」
多重人格とまではいかないが、人は様々な側面を持ち合わせている。ある相手に厳しく対したかと思えば別の相手にはとことん甘い。同じ相手に対しても情況に応じて様々な喜怒哀楽を見せる。それらはごく普通のことである。誰もが数多くの自分を抱えている。それが常態である。
私とても例外ではない。いろいろな自分をなんとか飼い慣らしている。状況に応じて使い分けている。たとえば、不意の来訪者にはとりあえず愛想よく応対するのがよかろう。
呼び鈴が鳴りドアを開けると、初対面の中年女性が立っていた。私が契約している生命保険の外交員なのだそうである。新たにこの地区を担当することになったので御挨拶に、との仰せである。そうであったか。私は愛想よくその御説明を伺った。私にとってはいわば外交であり、愛想外務大臣としては貿易相手国との友好関係を良好に保つ責務がある。幸い両国間になんらの外交問題はなく、この会談は終始和やかな雰囲気の中で催された。会談終了間際には、友好の証として先方よりティッシュペイパー並びにボールペンが贈呈され、両国は今後も保険の分野で共に円滑な協力関係を築いていくことを再確認するに至った。かくして会談は成功裡に幕を閉じ、愛想外相は面目を保ったのであった。
私は中断していた作業に戻った。即ち皿洗いであり、担当相は怠惰厚生大臣である。いかにも不適切な人事であるが、我が国では福利厚生政策に関する国民の意識が低い上に厚相にふさわしい人材がいない。苦渋の任命なのではあった。ついつい溜りがちになる洗濯物や食器を、嫌々ながらといった態度を露骨に滲ませながら片付けるのが、私の中で怠惰厚相が出現する際のありがちな形態である。
皿洗いが終われば、次は横着建設大臣の出番である。玄関の切れた電球を付け換えるというのが、横着建設相の今回の任務である。二月前から切れていたのであったが、怠慢通産相がなかなか輸入しなかったので、ついつい先伸ばしになっていたという経緯がある。無精運輸相の腰が重かったことも考慮しなければならないであろう。
ようやく国際玄関が明るくなったところで、また訪問者があった。黒船の来航である。大新聞帝国の外交官がまたしても通商を求めて来たのであった。大新聞を買え、と脅してくる。かの帝国の外交手段には、脅迫という方法論しかない。かの帝国からは過去幾多の外交官が我が国を訪れたが、かつて下手に出てきた者はいない。押し売り、という伝統芸を後世に伝えるのが使命であると心得ている節があり、我が国はいつも困っているのである。
さっそく愛想外相を前面に押し出して折衝に当たらせたが、やはり重荷だった模様であり、ペリー総督の口車にうかうかと乗せられそうになっている。慌てて通産相を繰り出したが、これがまた怠慢であり、埒があかない。悲惨大蔵大臣の「金はない」式の開き直った説得も効を奏さなかった。他に誰かいないのか。他に関係がありそうな省庁はどこだ。関係担当相は誰だ。いた。毒舌郵政大臣である。この性格は主にテレビを観ているときなどに発揮されるのであるが、報道という観点からはまんざら縁がなくもなかろう。ゆけ、毒舌郵政相。
が、かえって相手を逆上させてしまう情けない郵政相なのであった。ペリー総督は、ドアの内側に膝をねじ込むという強行手段に打って出てきた。あ。なんだそれは。どうなっているのだ。国家公安委員長、なんかしたまえ。「当方は内政と堕落を担当しておりまして、外交はその任にあらず」と薄情国家公安委員長はちっとも役に立たない。だったら防衛庁長官、有事だ、君がこの難局を打開せい。「あ、それは、ちょっと。ちょっと難しいかなあ、と」などと弱気防衛庁長官はきわめて自信なげであったが、「あのう。そういうの、ちょっと困るんですけど」と苦悩を滲ませて言いつのったところ、意外に効果があったらしく、大新聞帝国の外交官はあっけなく退散していくのであった。
ことは納まったが、内政問題が勃発した。愛想外相の罷免要求である。万年野党であった勤勉党が先の総選挙において唯一の議席を失って以来、なりゆき党とでまかせ党の連立政権が牛耳っていた議会であったが、さすがに愛想外相の今回の失態は問題視された。閣議においても、愛想外相の弱腰には、批判的な見解が多かった。私も私の私的諮問機関である「そんな外交審議会」に諮問したところ、「罷免やむなし」との答申を得た。進退窮まった愛想外相は、可哀想に辞任を申し出ざるをえなかった。業界用語であるところの「事実上の更迭」である。つまり、「事実」とはぜんぜん違うのである。
変わったところに打球は飛ぶ。派閥の論理で思いがけない外相の座を射止めた新任の粗忽外務大臣に、さっそく難局が訪れた。宗教問題である。ペリーの次はザビエルなのであった。焦点の合わない瞳を有したおばちゃんがなにか言っている。布教である。キリスト教系の邪教らしい。粗忽外相はやっぱり粗忽なので「それは儲かりまっか」などと、謎の外交手腕を駆使し、なんとなく追い払ってしまうのであった。
粗忽外相は大いに賞賛されたが、それがいったい外交か、という通産相や蔵相の嫉妬に満ちた皮肉が開陳され、就任の手続きについて「俺がルールブックだ」と勝手法相が疑義を呈している上に、人選について嫌味文相が嫌味を言っている。
我が国の前途は多難というほかはない。
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